本書は組換えDNA1) 操作を行った生物を工業、農業及び環境で利用することに焦点を置いている。なぜならこの技術は過去15年の間に、産業化の段階にまで発展し進歩したからである。組換え体の産業での利用が行われるようになると共に、これら新技術に伴って増大する危険性に対し、現在の方法がそれに対応できる能力があるかどうかに関し疑問が生じた。今までの一般国民の論争にはしばしば、最近の科学の進歩を十分に理解していないことに由来することもあった。
専門家アドホック会合の作業は工業、農業及び環境で利用することに焦点を合わせており、かつこれらの疑問に何らかの回答を提供することを意図している。このアドホック会合への委任内容2) に含まれている主な作業は、下記の内容である。
| i) | 微生物取扱いに関する既存の(又は)予定されている法律や規制を背景にして、工業、農業及び環境で組換え体を使用する際の安全性に関する各国の見解を概観すること。 |
| ii) | 工業、農業及び環境の各分野で、組換え体を生産し利用するに際して、監視や許可を行うため、どのような基準を定めているか若しくは定め得るかを明らかにすることであり、工業、農業及び環境の各分野で組換え体を将来生産し利用するに際して、どのような手段・方法で監視できるかを探索すること。 |
これらの安全性の問題の共通の理解によって、国際的な調和の方向に第一歩を踏みだす基盤が整い、人の健康や環境を保護し、国際貿易を促進し、バイオテクノロジーの分野の貿易障壁を減少させることになるであろう。
バイオテクノロジーは新しい技術ではない。紀元前3000年以前にシュメール人は、酵母のアルコール発酵能力を利用してビールをつくった。何年も前に、製薬産業、発酵工業及び農業の一部では、バイオテクノロジーを産業規模で活用することで発達しており、それが今日まで続いている。バイオテクノロジーのこの伝統的な農業、工業への利用は現在多くの国で規制されており、産業規模で何十年も安全にかつ巧みに従来の遺伝学の手法を用いてきている(例えば自然選択、交雑法、接合、化学薬品又は放射線による突然変異、形質転換)。
科学者が異なる生物のDNAを試験管内で組換える生物学的技術を発見した時から、15年の間にバイオテクノロジーに新しい局面が加わった。最初のそして最もよく知られた技術は組換えDNA技術である。それは、過去10年間、熱心な研究開発の課題となっており、そして実験室で使用する時は安全であることが明らかとなった。産業規模で組換えDNA技術を利用した最初の商品の開発も、既に承認されている(例えばヒトのインシュリン、フェニルアラニン、ヒト成長ホルモン)。
組換えDNA技術は従来の方法が発展したものといえる。この技術によって宿主細胞に希望の表現型を与えるように遺伝子を正確に変換、構築、組換え、欠失、転座させることができる。さらに組換えDNA技術によって遺伝物質を、DNA供与体と全く関係のない別の生物の中に転移し発現させることができる。
組換え体やその利用を考察するための基準を作る際に、専門家アドホック会合が強調する考え方は次の通りである。すなわち
| ―― | 専門家アドホック会合は、最も明らかにされている組換えDNA技術によって開発された製品やプロセスに関する問題点のみに、この報告書の焦点を当てることとした。しかしこの報告書の中の組換えDNA技術に関する考察は、他の遺伝子操作の技術によって改良された生物にも適用されるであろう。これらの中には遺伝子操作の従来の技術(交雑、接合、突然変異誘起、選択など)及び細胞融合、プロトプラスト融合、胚移植、マイクロインジェクションのような試験管内技術が含まれる。 |
| ―― | 専門家アドホック会合はまた、人間に直接適用する遺伝子操作技術は取り扱わないこととした。この報告書は焦点を安全面に置いており、全然異なった問題である倫理上の疑問にまで立ち入らない。 |
| ―― | 専門家会合は委任された第2の作業、すなわち将来組換え体の使用を監視するための、基準と方法及び手段の確認に重点を置いた。 |
委任された第1番目の作業に関し、我々は質問書による各国の見解の調査を行った。大抵のOECD加盟国には、健康、安全及び環境保護に関するさまざまな法令が制定されており、これらは原則的には組換えDNA技術の工業、環境及び農業への応用によって発生するかもしれない危険性を管理するのに、適用できるであろう。バイオテクノロジープロセスや製品の安全性に影響を与える一般的な法律規定が、既にさまざまに制定されている。さらに組換えDNA技術の応用に対する特別な規定が、自主的な指針及び勧告の形で見出される。多くのOECD加盟国は、適正な点検と監督を確実に行い、そしてこの分野における技術的な発展を妨げる不適当な負担を避けるために、現存している監督機構を検討し始めている。
本報告は、工業、農業及び環境で組換えDNA技術を取り扱う時の危険性の管理方法の基礎となる、科学的原理を提供するために作成されたものである。ここで論議している科学的考察の範囲は、組換えDNA技術を応用したプロセスの安全施策を定めるのに使用し得るものである。これは組換えDNA技術の応用又はその製品を規制する基準ではなく、むしろ最終的な国際間で調和のとれた勧告に向けた第一歩である。
OECD諸国においては、バイオテクノロジープロセスを利用する産業界では、危険性の低い微生物を使用するというGood
Industrial Practicesを固く守ることによって、安全を確保してきた。病原微生物を安全に利用するために、その上に適切な管理と封じ込めが行われている。同じような手法が、組換えDNA技術で得られる微生物の工業的利用にも適用できる。しかし、適切な安全基準がない状況も起こる可能性がある。確固とした基準が作られるまでは、組換え体の特定の用途に対する安全性評価はケースバイケース3) で行ってもよいであろう。
組換え体を環境で利用する時は、異なった問題点が生ずるであろう。環境又は農業用の微生物の潜在的危険性のアセスメントは、工業用途の潜在的危険性のアセスメントに比べて遅れている。組換え体を生態系に導入した時の結果を予測する能力を増すために、一層の研究が必要である。したがって、必要なデータ及び調査基準を国際的に定めることはまだ可能でない。本報告書はむしろ、潜在的危険性を評価するのに必要な情報を定めるための手法を、暫定的に定めるものである。この専門家アドホック会合は、この暫定手法が個々の国がとり入れるのに十分な弾力性を有していると感じている。我々の知識が増加した時には、国際的に合意の得られた安全基準の確立を期待するものである。