第2章 初期の歴史と安全性

2.1 バイオテクノロジーの歴史と安全性

 バイオテクノロジーとは、「バイオロジー(生物学)」と「テクノロジー(技術)」を組合せた言葉で、生物の働きを利用する技術のことをいいます。昔から私たちは、微生物の働きを利用して味噌や醤油、チーズやお酒などを作ってきました。また、作物の品種改良のために、交配や、化学薬品や放射線により遺伝子に突然変異をおこす方法等を利用してきました。このような昔から行われている生物の利用技術を「オールドバイオテクノロジー」と呼んでいます。これに対して、1970年代の始めごろから利用されるようになった遺伝子組換え技術(正確には組換えDNA技術といいます)などの新しい技術を「ニューバイオテクノロジー」と呼んでいます。

 私たちはオールドバイオテクノロジーの利用にあたっては、事前に安全性を評価するようなことは行ってきませんでした。私たちの先祖は、どのような理屈で何が起こっているかを詳しく理解することなく、試行錯誤の中からいいものを選んで利用してきました。お酒造りでは、微生物が育つ環境の条件を変えることによって望ましい微生物をみつけ、いい微生物のタネが取れたあとは、この微生物が増えて最適な働きをするように条件を整えてきました。また、品種改良では、交配によって遺伝子の組合せを様々に変えて、その中から好ましくない性質を持つものは除き、望ましい性質を持つものを選び出してきたのです。そして、これらのプロセスは経験と試行錯誤に支えられたものでした。
以前はブタから作られていたインシュリンも含めて、今ではいろいろな医薬品がニューバイオテクノロジーを利用して作られている
 これに対してニューバイオテクノロジーの発展は全く違ったプロセスを通りました。組換えDNA技術が1973年に開発されてすぐ、まだこの技術が広く利用される前に、安全上何の問題も生じていないにもかかわらず、この技術を開発した研究者は安全性を確認してから進めよう、という提案を行ったのです。研究の自由を尊ぶ研究者がこのように自らの手足を縛りかねないことを言い出すことは極めて異例なことでした。これは、1960年代から1970年代にかけての時代の雰囲気、すなわち、旧来のやり方に批判の目を向ける学生運動の嵐が吹き荒れ、ベトナム戦争の暗雲がたれ込め、そして世界中で環境問題が認識されるようになった時代の雰囲気と無縁ではありません。研究者達は、自らが手を染めた研究が問題を生じないようにしたいと考えました。そしてニューバイオテクノロジーはこのような研究者達の提案を出発点として、試行錯誤の中から経験によって学ぶのではなく、問題を生じる前に、あらかじめ安全性を考えて対応をはかる、というプロセスによって進められてきたのです。なお、その背景には、このような未知のリスクに対応するには、技術を利用する当事者が自主的に管理することが最適であるという理念も基本にありました。遺伝子組換え技術の安全性への世界で最初の取り組みである1975年のアシロマ会議、また、その結果を踏まえて翌1976年に出されたアメリカ国立衛生研究所(NIH)の「組換えDNA実験ガイドライン」は、このような基本理念に基づくものでした。

 もう一つ組換えDNA技術の発展でユニークな点は、社会との関係や市民参加の問題です。組換えDNA実験が行われるようになった最初の段階で、「モラトリアム」と呼ばれる実験の一時中止が行われた有名な事例が米国では2件あります。最初の最も有名なモラトリアムは1974年から1976年にかけて行われたもので、この実験の安全性について心配した研究者らの呼びかけにより行われました(次項参照)。このモラトリアムは実験の安全確保のためのガイドライン(NIHガイドライン)が定められたことにより終わりになりましたが(次々項参照)、このガイドラインを作る作業には市民が参加していました。また、ガイドラインの下で、組換えDNA研究計画や内容を審査する委員会である「組換えDNA諮問委員会(RAC)」にも市民の代表が含まれていました。

 もう一件のモラトリアムはガイドラインが定められた後、1976年にハーバード大学がリスクの高い実験を行うための施設を作ることを計画したことに端を発したものです。ハーバード大学のあるケンブリッジ市ではこのことについて公聴会を2回開催し、潜在的リスクの高い実験を一時中止することを決定しました。モラトリアムはその後、「ケンブリッジ市における組換えDNA実験に関する条例」が定められたことにより終わりになりましたが、この条例では、組換えDNA実験を行う場合にはNIHのガイドラインを守ること、研究施設が設置する組換えDNA研究の安全性確保のための委員会に市民の代表を入れなければならないことなどが決められました。なお、この委員会に加わった市民メンバーは、NIHのガイドラインを、一部の科学者も及ばないほど理解し、このようなプロセスに市民として十分な能力を発揮できることを示したといわれています。

 このように、組換えDNA技術の議論には、安全性の議論と、社会との関係や市民参加の問題が最初の段階から関わっていました。

バイオテクノロジーの年表

2.2 なぜ遺伝子組換え技術(組換えDNA技術)の安全性が問題にされてきたのか