2.3 組換えDNA実験はどうやって行われてきたか

 1973年にコーエンとボイヤーにより開発された組換えDNA技術は、遺伝子の人為的な組換えを簡単に行えるようにする画期的な技術でした。けれど、この技術の利用によってヒトに危険が生じる可能性を否定できないという理由で、1974年に実験の自主的な中止が呼びかけられ、1976年に米国で安全性確保のためのガイドライン(NIHガイドライン)が作られました。各国もこれにならったガイドラインを作成し、我が国でも1979年に最初の組換えDNA実験指針が策定されました。なおガイドラインそのものは科学的な知見の蓄積に伴って次々と改定されていました。さて、組換えDNA実験のガイドラインが作られる端緒となったのは、1975年2月にカリフォルニア州アシロマで開催されたアシロマ会議です。この会議では、組換えDNA技術の安全性をどう考えたらよいか、安全性を確保するためにどのような対応措置を講じたらいいかについて議論が行われました。そして、4日間にわたる激しい議論の末、組換えDNA実験には危険性が全くないとはいいきれないこと、生物学的・物理学的封じ込めを行って実験を行うこと、このような封じ込め条件下で実験を行うためのガイドラインを策定することが提唱されました。ここで、生物学的封じ込めというのは、宿主−ベクター系を利用する封じ込めをいいます。すなわち、自然環境中では生存できないことが確認されている宿主生物(遺伝子を導入される生物)と、遺伝子を宿主以外の生物に移さないことが知られるベクター(遺伝子を宿主に運ぶ役割をするもの)の組合せよりなる宿主−ベクター系を利用するというものです。
生物学的封じ込め
物理的封じ込め例
 このような宿主−ベクター系を使えば、組換えた遺伝子が他の生物に移ることも、組換え遺伝子を含む遺伝子組換え生物が自然環境中で生き延びて広がることも防ぐことができると考えられたためです。また、物理的封じ込めというのは、組換え遺伝子を含む微生物が環境中に出るのを防ぐような物理的なバリアーを設置するというものです。
 この会議後、米国の国立衛生研究所(NIH)はガイドラインを作る作業を行い、1976年7月、最初のガイドラインを定めました。このガイドラインでは、組換えDNA実験を潜在的危険度によって分類し、その危険度に応じた生物学的封じ込めと物理的条件を規定しています。また、組換えDNAをもった生物の環境への意図的放出を含むいくつかの実験は禁止されました。また、組換えDNA実験を行う研究機関に対し、実験の安全性を審査する委員会(機関内バイオハザード委員会と呼ばれています)を設置することも定められました。
 当時は科学的な知見が限られていたため、最初に作成されたガイドラインは、現在から見るとかなり厳しいものでした。しかしその後、実験の危険度を確かめるための実験の結果が得られ、また様々なワークショップでの検討が行われるに従って、ガイドラインは緩和され、要求されていた封じ込めレベルは順次緩やかなものになっていきました。このようなワークショップには、1977年6月、マサチューセッツ州ファルムスで行われたファルムス会議、1978年1月、英国のアスコットで行われたアスコット会議、1980年4月、カリフォルニア州パサデナで行われたパサデナ会議があります1
 このような検討を経てNIHのガイドラインは緩和され、1976年の作成以降、1982年4月までの5回の改定で大幅な規制緩和が行われました。また、1982年4月の改定では、当初に禁止されていた実験の禁止も解かれ、現在のガイドラインとほぼ同様の枠組みのものになりました。
 また、組換え体のヒトの健康への潜在的有害性についても、宿主、ベクター、導入遺伝子、及び組換えDNA実験の内容から予測できると考えられるようになり、遺伝子組換えにより「思いもよらない危険な生物」ができるのではないか、という当初の心配は、次第に小さくなっていきました。
 NIHにおけるガイドラインの策定と改定、遺伝子組換え実験と社会との関係についての議論に興味のある人は,フレデリクソンの回顧録2をご覧ください。

1:JBA:OECDと日本のバイオテクノロジー政策
2:フレデリクソン:組換えDNA:回顧録
3.1 産業利用の始まり