環境
予防原則は幅広い分野で適用されているが、本来は環境政策の枠組みの中で発展してきた。
北海の保護に関する第2回国際会議(1987年)の閣僚宣言は、次のように述べている。“最も危険な物質の悪影響から北海を守るためには予防的な取り組みが必要であり、そうした予防的取り組みは、たとえ完全に明白な科学的証拠によって因果関係が確立される前であっても、そのような物質の侵入を規制する措置を要求するかもしれない”。また、北海の保護に関する第3回国際会議(1990年)の場で、新たな閣僚宣言が出された。この宣言は前回の宣言をさらに肉付けし、“参加者は...引き続き予防原則を適用する。すなわち、たとえ排出と影響の因果関係を証明する科学的証拠がない場合であっても、残留性があり、有毒で、生体に蓄積しやすい物質の潜在的な悪影響を避けるための措置を講じる”と述べている。
予防原則は、1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)ではっきりと認知され、いわゆるリオ宣言に盛り込まれた。それ以来、予防原則は環境に関するさまざまな協定、特に地球の気候変動、オゾン層破壊物質および生物多様性保護に関する協定で実施されてきた。
予防原則は、国家当局の一般的権利および義務を定めた原則の中で、リオ宣言第15原則として次のように記載されている。
“環境を保護するため、各国はその能力に応じて予防的方策を広く適用しなければならない。深刻なまたは回復不可能な損害を被る恐れがある場合には、科学的な確実性が十分にないことを理由にして、環境の劣化を防止する費用対効果の高い措置をとることを延期させてはならない”
第15原則は、以下の文書にも同様の言い回しで表現されている。
1. 生物多様性条約(1992年)の前文
…生物多様性の著しい減少または喪失のおそれがある場合には、科学的な確実性が十分にないことをもって、そのようなおそれを回避しまたは最小にするための措置をとることを延期すべきではないことにも留意し、…
2. 気候変動枠組条約(1992年)の第3条(原則)
“…締約国は、気候変動の原因を予測し、防止しまたは最小限にするための予防的措置を講じるとともに、気候変動の悪影響を緩和すべきである。深刻なまたは回復不可能な損害のおそれがある場合には、科学的な確実性が十分にないことをもって、このような予防的措置を講じることを延期すべきではない。予防措置を講じる場合は、気候変動に対処するための政策および措置は、可能な限り最小の費用によって地球的規模で利益がもたらされるように費用対効果の大きいものとすべきである点に考慮すべきである。このため、これらの政策および措置は、社会経済状況の相違を考慮し、包括的で、関連するすべての温室効果ガスの発生源、吸収源および貯蔵場所ならびに適用を網羅し、かつ、経済のすべての部門を含むものとすべきである。気候変動に対処するための努力は、関係当事者が協力して実施することができる”
北東大西洋の海洋環境保護に関するパリ条約(1992年9月)では、予防原則は、“海洋環境に直接的または間接的に導入される物質またはエネルギーが、人の健康に危険をもたらし、生物資源および海洋生態系に危害を加え、快適性を損ない、他の海の合法的利用を妨げるという懸念に関する合理的根拠があるときには、たとえ導入された物質またはエネルギーと影響の間の因果関係を示す決定的な証拠がなくても、予防的措置を講じる根拠となる原則”と定義されている。
最近では、2000年1月28日、生物多様性条約締約国会議において、現代のバイオテクノロジーによって作られる遺伝子改変生物の安全な移動、取り扱いおよび使用に関するバイオセイフティに関する議定書が予防原則の主要な機能を確認した。実際には、第10条第6項で次のように述べている。“遺伝子改変生物が輸入締約国における生物多様性の保全および持続可能な利用に及ぼす可能性のある悪影響(人の健康に対する危険も考慮する)の程度に関する関連科学情報および知識が不十分であることに起因する科学的確実性の欠如は、当該輸入締約国がそのような悪響を回避しまたは最少にするために、上記第3項に規定する当該遺伝子改変生物の輸入に関して必要に応じた決定を行うことを妨げてはならない”
さらに、WTO協定の前文も、次第に密接さを増す貿易と環境保護との関係を強調している。
WTO
SPS協定
WTOの衛生植物検疫措置(SPS)の適用に関する協定では、“予防原則”という言葉は明示的に用いられていないが、食肉および肉製品(ホルモン)に関するECの措置についての上級委員会(AB-1997-4、第124項)は、この協定の第5.7条によく似た表現を見つけたと述べている。第5.7条は次のように述べている。“関連する科学的証拠が不十分な場合には、加盟国は、関連する国際組織からの情報および他の加盟国が適用した衛生・植物検疫措置からの情報を含む入手可能な科学的情報に基づき、衛生・植物検疫措置を暫定的に採用してもよい。そのような状況においては、加盟国は、より客観的なリスク評価に必要な追加的情報を得るよう努力し、それらに従って合理的な期間内に衛生・植物検疫措置を見直さなければならない”
ホルモンに関する上級委員会(第124項)は、“第5.7条が予防原則の関連性を徹底的に検討すると仮定する必要はない”ことを認めている。また、加盟国には“場合によっては既存する国際的な基準、ガイドラインおよび勧告よりも高い(すなわち、より慎重な)、独自の衛生保護レベルを確立する権利”がある。同委員会はさらに、“人の健康に対する回復不可能な(たとえば、致命的な)害をもたらすリスクが懸念される場合には、責任ある代表政府は通例、慎重さと予防的立場から行動する”ことを認めている。農産物に影響を及ぼす日本の措置に関する上級委員会(AB-1998-8、第89項)は、暫定的 SPS 措置を採用し維持するために満たさなければならない4つの要求事項を明らかにしている。加盟国は、この措置が以下の要求事項を満たすなら、暫定的にSPS 措置を採用することができる。
1) この措置は、“関連のある科学的情報が不十分”な状況に関して課せられる。
2) この措置は、“入手可能な関連情報に基づいて”採用される。
当該加盟国が以下の要求事項を満たさない場合には、そのような暫定的措置を維持することはできない。
1) 加盟国は、より客観的なリスクアセスメントに必要な追加情報を入手しようと努める。
2) 加盟国は、入手した追加情報に基づいて合理的な期間内に措置を見直す。
これら4つの要求事項は明らかに累積的であり、第5.7条規定に矛盾しないことを確認するためには等しく重要である。これら4つの要求事項の1つでも満たされない場合には、当該措置は第5.7条規定と矛盾する。措置を見直すための“合理的な期間”に関して、上級委員会は、それはケースバイケースで決まるものであり、見直しに必要な追加情報を入手することの難しさや暫定的 SPS 措置の特質など、それぞれのケースに固有の状況によって異なると指摘している(第93項)。