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2. コムギ

R. James Cook、V. A. Johnson、R.E. Allan著


A. コムギの特性

a) 原産地;分類学的地位

コムギは、被子植物、単子葉、草本類の仲間である。単子葉、草本類の中でも、小麦はHordeae連、Triticum属の仲間である。本章末の表2.1に様々な種のコムギの名称を記した。

コムギの地理的起源の中心地域は、イラン西部、イラク東部、そしてトルコ南部および東部に隣接する地域であると考えられている。この地域で最初に栽培された(原始的な)コムギは、2倍体のTriticum monococcumであり、ヒトツブコムギとして知られている。4倍体のTriticum turgidum var. dicoccumは、フタツブコムギとして知られている。そして6倍体はスペルトコムギとして知られている(T. aestivum var. spelta)。

ヒトツブコムギの記録は、紀元前7000年代のイラクのクルジスタン、トルコ東南部、およびバルカン南部までさかのぼる。このコムギは、メソポタミア平原で繁栄した最古の文明においても栽培されていた。そしてドナウ川とライン渓谷を通してヨーロッパに広まったと考えられている。フタツブコムギは、中近東の初期農民によって栽培されたもっとも重要な穀草であった。フタツブコムギは、紀元前6000年代に、肥沃な三日月地帯の山岳地域からメソポタミアの低地へと伝えられ、紀元前5000〜4000年代には、エジプト、ヨーロッパ、中央アジア、そしてインドに持ち込まれた。考古学的情報から、スペルトコムギは、紀元前およそ2000年代にライン川上流で栽培されていたことが示唆されている。

今日、農家が選ぶ2倍体のコムギ種(ランドレース:古代から改良、栽培されてきた作物)は、コムギの地理上の中心的原産地やその付近で、おそらく4倍体のランドレースや6倍体のコムギ種とともに栽培されるであろうが、商業用として栽培されているすべてのコムギ種は6倍体か4倍体である。ヒトツブコムギ、フタツブコムギ、そしてスペルトコムギなどの原始時代から栽培されてきた多くのコムギ種の穀粒は、皮性のコムギの仲間であるが、一方、デュラムコムギ、クラブコムギ、そしてパンコムギなどのすべての現代コムギ種は、支障なく脱穀できる。

b) 使用の地理的分布;主な生産地

世界規模でのコムギ生産は、現地の気候、天気、害虫、病気、そして土壌状態などの制約条件の下に、収穫能の高く、かつ望ましい最終消費特性(品質)を有するように、特別に育種され選抜されてきた何百もの品種の性能に依存している。これらのコムギの品種は、市場の変化、病害虫、そして栽培慣行の変化に伴って加えられる圧力に対応するために、世界規模の官民育種プログラムネットワークによって、頻繁に交換あるいは更新が行われている。新しいコムギの品種は、その地域ですでに利用可能となっており栽培もされているもっとも近縁な対応コムギよりも優れていることが、性能評価試験によって証明された場合にリリースされる。コムギの品種は環境特異的である傾向がある。もっとも広く利用されている品種でさえも、特定の地理的区域や環境に限定されており、その完全な潜在能力を発揮できるような栽培慣行に全面的に依存している。

デュラムコムギ(T. turgidum var. durum)は、そのままで脱穀できる4倍体であり、およそ紀元前1000年代に、中近東において皮性コムギであるフタツブコムギに取って替わり始めた。今日、デュラムコムギは中近東とともに北米、ヨーロッパ、北アフリカ、アジアでもセモリナ粉の原料として栽培されている。

クラブコムギ(Triticum aestivum var. compactum)は6倍体であり、穂(ヘッドまたはイアー)の形のためにこの名前がついた。パンコムギ(T. aestivum var. aestivum)は、長い穂軸に互い違いに、均一に配列する小穂がついている穂に特徴があるが、それとは対照的に、クラブコムギの穂は、小穂が短い穂軸上に密集して配列している。このように、クラブコムギは短い、密度の濃い、側面にそって押し付けられたような穂によって、パンコムギと区別することができる。クラブコムギは、新石器時代および青銅器時代に一般的な種類であったと考えられている。

c) 遺伝学および細胞遺伝学的特性

コムギ種における染色体の基本数は7本である。したがって、2倍体のコムギ種は14本の染色体を有しており、4倍体のフタツブコムギや現代のデュラムコムギ種は28本の染色体を有しており、また、一般的な6倍体のパンコムギ種は42本の染色体を有している。

4倍体のコムギ種は、2つの2倍体コムギ種間のまれな自然交雑によってできた種である。1つの2倍体種は、自然の雑種形成を通じて、複二倍体性として知られているプロセスにより、その染色体セットをもう1つの2倍体種の染色体セットと組み合わせたものである。異なる野生の2倍体種のゲノムは、細胞学者によって科学的目的のために、AA、BB、CC、DDなどのように表示されてきた。たとえば、ゲノムAAを有するAの2倍体種が、ゲノムBBの2倍体種と普通の異系交雑を行った場合は、ゲノムABを有する2倍体雑種が作られるが、それはおそらく不稔性である。まれな事例として、染色体が自然に2倍になり、ゲノムAABBを有する4倍体雑種が作られることもあるが、それは稔性である。

6倍体のコムギ種も同じプロセスで作成されてきた。すなわち、ゲノムDDの2倍体とゲノムAABBの4倍体が組み合わされて、ゲノムAABBDDの6倍体雑種ができあがった。このプロセスは実験室で再現可能である。さらに、2倍体のライムギ(Secale cerealis)の染色体は、病気や害虫に対する抵抗性などの遺伝子源として、6倍体のコムギのゲノム内の染色体と、6倍体コムギのゲノム内の特にIAおよびIB染色体と、細胞学的に代替可能である。その他にも細胞学的に可能な代替法はあるが、その子孫は一般的に不稔性であるか、あるいは、その植物の型が育種プログラムに有用な農業上望ましいコムギとあまりにもかけ離れていたり異なっていたりすると考えられている。しかしながら、人工的に種を組み合わせて作りだしたある種のライコムギが、農業に対する適応性を示した例がある。栽培されているライコムギは、コムギとライムギの6倍体雑種の稔性である。8倍体で稔性のコムギ/ライムギの雑種も作られてきた。

d)現在の最終用途

世界人口の3分の2は、食糧としてコムギとコメに依存していると推定されている。コムギの穀粒はコムギ粉に加工され、発酵および発酵していない焼き菓子やパン製品、パスタ、麺、シリアルなど一連の製品の主な成分となっている。それぞれのコムギ製品には、原料のコムギに対するそれ独自の品質要件がある。したがって、加工の質が、コムギの育種プログラムの主要な構成要素である。工業化した西洋世界全体を通して、最終用途に合致した特異的な品質形質をもとにして、コムギの品種が育種され選抜される。コムギの新しい品種が販売を許可されるかどうかは、収穫量や農業経営上の特質だけでなく、穀粒の加工の質にも密接に関係している。

ほとんどの国では、コムギの蛋白質含有量を基にして作られた市場階級を使用している。たとえば、アメリカ合衆国やカナダでは、コムギの品種を、硬質赤色春コムギ、硬質赤色冬コムギ、白コムギ(春コムギ、冬コムギ、クラブコムギ、および硬質タイプと軟質タイプ)、軟質赤色冬コムギ、ならびにデュラムコムギに分類されている。蛋白質の含有量が高い(13〜16パーセント)コムギはパンに利用され、一方、比較的蛋白質の含有量が低い(8〜11パーセント)コムギは普通ペストリー、クッキー、クラッカー、薄いパン、そして東洋の麺に利用される。デュラムコムギはセモリナ粉に利用される。小麦粒の蛋白質の含有量および質は、どちらも複合的に遺伝した形質であり、どちらも生産環境に強く影響される。これらの品質の差異はコムギの国際貿易に影響を与える。ヨーロッパ諸国が、高蛋白質のカナダ産やアメリカ合衆国産の春コムギを大量に輸入するのは、これらのカナダ産やアメリカ産のコムギの蛋白質の質が優れているだけでなく、蛋白質の含有量が多いためでもある。

生殖のメカニズム

a) 生殖様式

コムギは完全花を有する雌雄同株であり、自家受精(自家受粉)作物として有性生殖を行なう。他家受粉もいくらか起こるが、その割合は通常3パーセント未満である。

コムギは一年生植物である。コムギの遠縁種には多年生のものもあり、多年生のコムギが野生の近縁種との染色体置換に関する細胞学的操作を介して開発された。この多年生の特性は遺伝的に複合的である。コムギの簡易育種プログラムでは、多年生コムギの開発の検討に重大をおいてこなかった。なぜならば、輪作による病害虫防除や品種の変更は、簡易プログラムでは行なえないためである。

コムギには、冬または春のいずれかに育つという習性がある。「冬コムギ」は、秋に植えられて、次の年の春か夏に穀粒をつける。冬コムギは、栄養成長から生殖成長へと切り替えるために、凍結付近の温度、あるいはわずかにそれを下回るぐらいの温度となる春化期と、そして成長温度日の最低限の蓄積、および/または日長を必要とする。この蓄積される成長温度日とは、平均温度が0°Cを超える日の合計数のことである。「春コムギ」は、春に植えられて次の年の夏に穀粒をつける。春コムギは、栄養成長から生殖成長へと切り替えるために、最低限度の蓄積成長温度日および/または日長を必要とするが、春化期は必要としない。

b) 拡散および生存のメカニズム

コムギの茎(主茎と穭)のそれぞれの成長点は、栄養成長から生殖成長へと転換するまでは地上まで伸びることがない。したがって、春化期を必要とするのは、秋に芽生え、次の年の春か夏に穀粒を実らせた穂を作るコムギが生存するための一つの仕組みである(冬コムギ)。春化期は、霜や冬の影響を受けやすいコムギの成長点が、冬や霜によって死んでしまう危険が過ぎるまで地上に出るのを防いでいる。今日、冬コムギは、冬が穏やかな温帯地域で栽培されている。一方、春コムギは、コムギが生存できないほど厳寒な冬を迎える地域(例:北米のグレート・プレーンズ北部)、あるいはコムギの春化処理が不可能なほど暖かい地域(例:熱帯地方および亜熱帯地方)で栽培されている。

コムギは有性生殖で作られた種子から繁殖する。野生のコムギならびに他の原始的なコムギの穂(ヘッドまたはイアー)は、自己繁殖の手段として、「はじくこと」によって種子を地面に散布する傾向がある。ほとんどの現代栽培コムギでは、収穫に向けて穂が変化しないままとなるように、このはじくことを行なう性質を取り除いている。種子を地面に散布する品種は不合格とされる。コムギの種子は、鳥などの動物によって移動する可能性はあるが、風で移動することはない。

生存のための仕組みの一つとして、野生のコムギや原始的なコムギの種子は、種子の成熟時に発芽抑制物質を作ることによって、穂の発芽と土壌中の早発発芽の双方を防いでいる。この休眠因子の発現は、温度が高いとき(25°Cを超える)に最大となる。冬コムギの成長習性を持つ種類が優先的である地域に生息する自然の生息地において、休眠因子はコムギに生存効果を授けてくれる。この休眠因子は、土壌が冷えて芽生えの条件がより好ましくなるにつれて徐々に消失するか、その産生または発現が停止するか、あるいは、その双方を行なう。現代の栽培コムギは、穂の発芽が潜在的問題となる地域では、種子の休眠を発現させるように選抜されてきた。また、コムギが温かい苗床に植えられる地域では、種子の休眠をほとんど、またはまったく発現しないように選抜されてきた。

c) 近縁種との交雑能

コムギの品種は、花粉の移動範囲以内である場合には、雑草類縁種であるAegilops cylindricaの花粉によって他家受精する頻度は低い。ヤギムキとして知られるAegilops cylindricaは、コムギの2倍体近縁種であり、アメリカのミシシッピ川の西部やカナダに隣接する地域では、品種コムギと共に広く発生する。いくつかの品種は、他の品種よりも雄性不稔性であり、そのために異系交雑しやすい傾向にある。コムギ×A. cylindricaの雑種は不稔性であるが、雌性不稔性のものもあるため、さらに他家受精を行なうことも可能である。幾代にもわたり、繰り返し交雑を繰り返すことにより、コムギとヤギムギの双方の形質を有する自家受精性個体が生まれた。

毒物学

食品としてのコムギ・グルテンに対してアレルギー反応を示す者もおり、また、空気中のコムギ花粉にアレルギー反応を示す者もいる。これらの2つの一般的で比較的よく理解されている種類のアレルギーを除いては、コムギがヒトや動物に対して中毒作用を引き起こすことはまったく知られていない。

生活環における環境要件

a) コムギの拡大に対する気候的制限

現代の栽培6倍体コムギは、おそらくすべての作物用植物の中でもっとも広く応用されている。その温帯気候以内での正常範囲に加えて、このコムギは北緯地帯にも、南緯地帯にも順応しており、さらに、熱帯地方では高地にも同じように順応できる。この種は、乾燥地の条件にもよく順応しており、年間降水量が150〜200 mmしかないようないくつかの休閑地でも生産されている。このコムギは、−10°C未満および40°C以上では生存できない。また、31〜32℃以上では呼吸が光合成を上回る。このコムギは灌漑にはよく対応するが、水浸しの土壌には向いていない。

コムギは、広範囲の気候に適応するものの、遺伝的に異なる品種はそれぞれの気候地域に特有の栽培条件を最適に利用するように開発されてきた。たとえば、気温の上昇がより激しい熱帯地方で栽培するために開発されたコムギは、日長時間に影響を受けないように選抜されてきた。一方、グレート・プレーンズ北部で春に播種を行なうように開発されたコムギは、蓄積成長温度日がより少なくても成熟した穂を作る能力を持つことに併せて、日照時間に対する感受性を持つようにも選抜されてきた。

b) コムギの拡大に対する生物学的制限

いくつかのコムギ品種は、それまでは重大ではなかった病原体や生態型/病害虫の影響を受けやすいなど、予期せぬ脆弱性を示している。農業慣行に導入されたそれぞれの新しい品種はこの危険性を有しているが、それは野外での性能試験で発見されることが多い。その場合には、この品種を農業慣行に導入することは認可されない。また、これは論議を呼んでいる栽培慣行であるが、品種の遺伝子をいくらか組み換えすることにより、経済的により魅力的になるかもしれない。このように、コムギに丈が半矮性となるような遺伝子を導入してより倒伏しにくくできる。このことによって、窒素肥料の頻繁な使用に対する道が開かれた。しかしこれらの変化の過程で、コムギの平均収穫量は3〜4倍に増えた地域もあった。

B. 現行の育種の実践および品種開発研究

a) 育種の主要技術

i) 育種の主要計画

コムギの品種として、現在のところ3種類が開発されている。これらは、純系、多系、そして雑種である。純系は交雑育種を行い、その後にその系の遺伝子が統一されるまで選抜を行なうことによって作成される(通常は8〜10世代)。多系は純系の混合である。雑種は細胞質を雄性不稔性にするか、あるいは、化学薬品を用いて雑種を形成する方法のいずれかによって作成される。コムギの育種プログラムを行っているすべての国で、化学薬品を用いたコムギ雑種形成が認可されているわけではない。純系の交雑育種によって作成された品種は、これら3種類の品種の中で、間違いなくもっとも一般的である。

候補となっている純系コムギ品種の最初の選抜は、現地の実験ステーション(通常は育種家の「ホーム」ステーション)で行われる小規模の野外試験の中で、子孫を分離する性能にもとづいて行われる。通常分離されるのは、4番目および5番目の世代系(F4系またはF5系とも呼ばれる)である。引き続いて、最良の遺伝子系に対して、現地の実験ステーションで1〜3年間にわたり、次世代の苗床を利用してその性能を評価する。次世代(F6、F7、F8)のコムギ系のうちの極めて少数だけが、他の場所や時には栽培者と協力して実施されている性能評価試験へと年を追って進む。毎年、次世代の最上のコムギ系の中から最上の性能を有する系が、新しい品種となる可能性があると考えられる場合に、その品種が性能試験に提供される。地域レベル、国家レベル、そして国際レベルの試験が、協力コムギ育種家、館外活動(アメリカのように)、または国立試験局(イギリスや他の諸国のように)で実施されている。多くのOECD加盟国は、コムギの新しい品種それぞれに対して、農業に導入する前に、国家検査を実施し、かつ要求している。

病気抵抗性を有するロシアのコムギ品種であるKavkazとAuroraは、コムギ育種家によって広く使用されている。この病気抵抗性は、ライムギのIR染色体の1分節とコムギのIA染色体またはIB染色体の1分節との転座によって得られた性質である。なお転座が起こると、パンの製造やパン生地にする特性を劣ったものにしてしまう。

現地、地域、国家、あるいは国際試験の苗床に特徴的な性能評価には、適当な照合品種が含まれる。すなわち、候補である新しい品種の性能がより優れており、そのために交換の対象となるような、その地域で現在栽培されている品種である。通常育種プログラムでは、始めに何千もの独自の遺伝子を有する系を作成する。その後これらの系を、性能評価試験での選抜によって百単位にまで減らし、さらにその後に10未満、ついには一つの系のみが最終的に農業慣行へと導入される。雑種形成を通して作られた新しい初期世代が、毎年育種プログラムに参加しているという意味では、このプロセスは進行中である。民間および公的の育種プログラムも同様のプロトコルに従っている。

ii) 外来生殖質の利用

現代のコムギ育種における高品質の穀粒に関する要件のもっとも深刻な意味合いは、品種の開発/改良のために、育種家が行なう生殖質の選択に対する影響かもしれない。世界のコムギの生殖質の多くは、多種多様な食品用として小麦穀粒を加工する現代の方法には適さない形質を有している。コムギの育種家は、品種の改良のために外来の生殖質に頼ることに対して消極的である。なぜならば、幾世代もの戻し交雑と選抜を行なうとしても、外来の親が関与する交雑から合格ラインの品質を有する子孫を同定できる可能性がおそらく極めて小さいからである。育種家は通常その替わりに、受容しうる品質形質を持ち比較的利用されてきた親株に依存して、質の悪い外来材料を長期的な生殖質の増大の方に追いやる傾向がある。育種家が狭い範囲内での交雑を好んでいることが原因で、収穫量の著しい増加や、他の複合的な遺伝形質が作られる機会が減っていることも明らかである。

iii) 育種方法の範囲を限定する成長特性

コムギの特異的な生産問題を解決するためや、特定の市場や栄養上の必要性を満たすために求められる必要性または望ましい特性の多くは、伝統的な育種技術では達成できない。あるいは、既存のコムギの生殖質バンクで利用可能な多くの重大な病気や昆虫の害虫に対しての十分な抵抗性も達成できない。育種が失敗した場合には、環境の面から許容できない、望ましくない、あるいは議論を呼んでいる栽培法(病害虫防除剤の使用、より集中的な耕作、および開放地での刈り株の焼却など)がしばしば導入されて諸問題を克服してきており、さもなければ脆弱な品種の性能を改善してきた。例外なく、現行の農業慣行に伴う環境上の問題は、コムギの遺伝子組み換えに関係しているのではなく、コムギの品種の性能を最大限に引き出すために導入また奨励された栽培慣行に関係している。

現在の農業慣行に伴った、これまでに解決困難だったいくつかの問題は、いまやリコンビナントDNA技術を用い、広範な遺伝子源から新しく有用な遺伝情報をコムギに導入することで解決されることがある。たとえば、オオムギ黄色矮性ウィルス(BYDV)は、多くの雑草に存在しており、作物宿主を換えながらアブラムシを媒介してコムギに到達するが、従来の育種法では防除できなかった。しかし、いつの日か、コート蛋白質やBYDVの他の遺伝子を発現する遺伝子導入コムギを開発することにより、この病気を防除することができるかもしれない。この新しい「育種」ツールは、遺伝的基盤を広げるであろうが、これら新しい系統や品種の性能評価に必要とされる場所と年数を減らせる見込みは少ない。遺伝子導入コムギの品種は、伝統的な育種法で開発されたコムギの品種と同様に、克服するように仕組まれた標的ストレス因子がない場合には、もっとも近縁種の競争相手とすくなくとも同じくらいの性能を示す必要がある。このような情報は、協力的な地域レベル、国家レベル、そして国際レベルの試験を通して、伝統的な技術を用いて開発されたコムギに対して実施されているような、性能比較評価を行なうことによってのみ得ることができる。

b) 育種の主要目的

新しい品種は通常、広範囲の生産基準を満たすもっとも近縁の競争相手と同レベルの性能を示す一方で、特定の生産上の制約を克服するためや、市場における需要を満たすために、能力を開発され選抜される。ある特定の地域に独自の生産上の制限を克服するために、その地域のみで使用するために品種が開発されたこともこれまで数度あった。その一つの例は、冬コムギが成長期の最長4ヶ月間を雪の下で生存しなければならないような北米のある地域において、ムギを覆うスノーモールドを防除するための品種である。

コムギの育種家は、品質要件が収穫量の改善に悪影響を与える可能性があると認識している。特異的な品質形質を示す遺伝子と、性能に影響を与える遺伝子との好ましくない遺伝子との連鎖は明らかに存在するが、それを確実に同定できた事例は比較的少ない。多くの研究を通して、穀粒の収穫量と穀粒の蛋白質含有量とが逆相関していることが実証されている。このような逆相関は、必ずしも遺伝子の連鎖を反映しているわけではない。通常収穫量の増加は、コムギの穀粒内のデンプン蓄積とそれに付随する蛋白質の希釈に関係している。収穫量の増加を促進する生産環境(アメリカの太平洋北西部、およびヨーロッパ西部)では、一般的に低蛋白質の穀粒も同じように生産されている。パンコムギでは、満足のいく発酵パン生産には穀粒の蛋白質が多く含まれていることが必須であるため、収穫量と蛋白質含有量との逆相関は深刻な重大さである。

c) 重要な育種目標のためのコムギの試験

最終用途の特性にはコムギの製粉および製パンに関する質が含まれるが、これらはいくつかのプログラムの、性能評価の初期段階や、地域レベルや国家レベルの性能評価へ進む段階に先立って行なう穀粒の質を検査するための標準試験における、微細製粉試験や製パン試験によって確認される。

進んだ段階の性能試験を通して栽培された候補のコムギ品種は、優れた性能を示すために必要な、その現地における最良の栽培慣行でないとしても、典型的な、自然のまたは人工的なストレスにさらされる。「人工的な」ストレスの1例としては、分離集団における抵抗性の度合いを実験を通して区別するために、十分に深刻な伝染病を作り上げることを目的として、現地の病原体の接種材料を実験におけるプロット・エリア(小区画の土地)に導入することがある。導入された病原体の接種材料を用いて、栽培者の圃場ではなく、その実験ステーションでほぼ独占的に性能の評価が行われる。一方、自然のストレスにさらされている条件下での性能評価は、実験ステーションでも、ほかの場所でも実施される。自然のストレスとしては、冬季の損害、塩類土壌、株が定着する間の高温な土壌、穀粒が実る間の高温な大気、天然の伝染病や昆虫の来襲などが挙げられる。この実験は、標準の統計学的方法によってデータの評価が行なえるように策定されている。

d) 一般性能の評価

ほとんどの新しい品種は、50〜60場所・年の試験から得たデータや、ある場合は75〜100場所・年の試験から得たデータに基づき選抜される。必要な多くの年月や植物の世代に関わらず、コムギの新しい品種は、コムギが重要な作物であると同時に多くの官民の育種プログラムが実施されているため、多くが毎年利用可能になる。

コムギの育種家は、有用なコムギの生殖質の共有や交換を含め、長い間国家と国際間との緊密な協力関係を築いてきた。一例をあげれば、アメリカにおいて、半矮性の成長習性を示すRHt-1遺伝子およびRHt-2遺伝子を(これは、もともと日本から農林系へと受け継がれた形質であるが)、標準的雑種形成法を使ってBevorへの遺伝子に導入することに成功して、農林10/Bevor14系を作り出している。この植物系も、メキシコのNorman Borlaugによるプログラムを含め、世界中の育種プログラムで自由に共有された。およそ20年のうちに、世界中のコムギのざっと50%の品種に、半矮性の成長習性を示すこれら2つの遺伝子が単独または組み合わせて利用された。もう1つの例として、Pseudocercosporella(斑点)すそ枯れ病に対する抵抗性を示すPch遺伝子は最初に野生種の4倍体Aegilops ventricosaから広範囲の交雑を行なうことによって、フランスの6倍体コムギに導入された(Doussinaultら、1983)。この導入には長年にわたる研究や試験が関わった。この生殖質はアメリカおよびイギリスのコムギ育種プログラムで共有され、その遺伝子は標準雑種形成によって、斑点病の問題をかかえるこれらの国における現地条件に適応する品種へと導入された。

C. 商業利用のための種子増産

a) 種子生産の段階

すべてではないにせよ、コムギ育種プログラムを実施しているほとんどの国では、コムギの新しい品種の種子のリリース、増産、流通、そして維持管理のために注意深く設定されたガイドラインにしたがっている。一般的に、新しい品種のリリースは、ヨーロッパなどのように農業省庁内で、あるいはアメリカのように州立の農業実験ステーションでそれぞれ実施されている公式な手続を踏んで認可されている。認可された品種の種子は、育種家によって食料に利用するために2つ以上の段階を通して増産が可能となる(「育種家種子」)。アメリカでは、育種家種子は「固定種子」を作成するために利用され、「固定種子」は「登録種子」を作成するために利用され、「登録種子」は国内利用および輸出用として栽培される「認証種子」を作成するために利用される。

すべてではないにせよ、コムギ育種プログラムを実施している多くの国では、コムギなどの種子のアイデンティティ、純度、発芽力を確保するための法律を有している。アメリカでは、種子生産の3段階(固定、登録、認証)それぞれは、プロの種子栽培者によって実施されている。規定の植物衛生基準にもとづき、それぞれの種子圃場は収穫される種子と同様に、特定の雑草、病気、害虫についての検査が行われる。コムギ種子の生産はアメリカの州立認可機関や、カナダおよびほとんどのヨーロッパ諸国の連邦機関によって監督されている。

b) 隔離の実施および調査

コムギ種子を育種プログラムのための生殖質と見なす国際的な動きは、コムギ種子を輸入している国の植物衛生法の対象となっている。いくつかの国々では特定の国で発生している病気のために、その国からの種子に対して検疫を設けている。いくつかの検疫所では食料として輸入されるコムギ穀粒に対しても検疫を行っている。種子は特定の病気に対する耐性をまったく有していない場合には、その病気に罹患していないことを、あるいは輸入国が設けた耐性の最低レベルを満たすことを認定されなければならない。


表2.1 コムギの野生種、原始時代の品種、現代の品種の名称

野生コムギ 原始時代に栽培されていたコムギ 現代に栽培されているコムギ
T. monococcum
 var. boeoticum 2倍体(AA)

T. tauschii 2倍体(DD)

T. turgidum
 var. dicoccoides 4倍体(AABB)

T. timopheevii
 4倍体(AADD)

T. aestivum
 6倍体(AABBDD)
T. monococcum
 var. monococcum、ヒトツブコムギ
 (皮性)2倍体(AA)

T. turgidum
 var. dicoccum、フタツブコムギ
 (皮性)
 var.durum (裸性)4倍体(AABB)

T. aestivum
 var. spelta(皮性)
 var. compactum(裸性)
 var. aestivum(裸性)
 6倍体(AABBDD)
T. turgidum
 var.  durum、デュラムコムギ(裸性)
 4倍体(AABB)

T. aestivum
 var. spelta、スペルトコムギ(皮性)
 var. compactum、クラブコムギ
 (裸性)
 var. aestivum、パンコムギ(裸性)
 6倍体(AABBDD)
出典:Feldmanの研究(1976年)

またコムギ育種プログラムを実施しているほとんどの国では、種子生産圃場における品種の習性に対する調査も実施している。また品種の商業利用が可能になった後もこの調査を実施する国さえもある。種子の増産や商業利用の間に、ある認可された品種が病気や環境ストレスに対して予期せぬ脆弱性を示した場合や、それまでに実施された性能評価では認識されなかった、他の農業上望ましくない性向を示した場合、認可は取り下げられる可能性がある。

コムギが野生の類縁種に極めて近い場所で栽培される場合、形質が野生の類縁種から品種へ、あるいは品種から野生の類縁種への他家受粉によって導入する可能性がある。アメリカでは、コムギの2倍体雑草類縁種であるヤギムキ(A. cylindrica)がはびこる地域におけるすべてのコムギの種子圃場では、容易に認識可能な雑種が存在するかどうかについての検査が行われる。種子に関するアメリカの法律では、コムギの単一雑種×A. cylindricaが存在する圃場については認可が行なわれない。

また、潜在的に栽培コムギからA. cylindricaのような野生類縁種へと遺伝子流動も起こる可能性がある。たとえば、斑点病抵抗性を示すPch遺伝子は、Aegilops ventricosaからの広範な交雑によって6倍体コムギへと導入されるが、おそらくA. cylindricaとの異系交雑によって移動する可能性がある。栽培コムギに斑点病を引き起こす真菌の宿主であるA. cylindricaは、この形質を示さないことがわかっている。A. cylindricaの集団内においては遺伝子導入のモニタリングなど、形式化された調査は実施されていないが、赤色の子葉鞘や軟毛で覆われている葉など容易に認識できるコムギの形質は、A. cylindricaの集団では観察されたことがない。さらに、Pch遺伝子が異系交雑によってA. cylindricaへ移動しても、その導入によってより重大な雑草が作り出され、斑点病菌が住みやすい宿主となりそうな形跡はない。

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