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第5回 実験ガイドラインの制定による自主管理

 石川 前回の座談会で、アシロマ会議の結果モラトリアム(自主的実験中止)が終わり、実験ガイドラインの制定にむけてNIHが動き出すところまでをレビューしてきました。かくして1976年にNIHガイドラインが公布されるに至るわけですが、今回はガイドラインの制定プロセスやその内容・性格についてもお話し頂きたいと思います。また、アシロマ会議は微生物の病原性の専門家が出席していなかったため、組換えDNA実験についての適正な安全性評価ができなかったと後々まで批判されることになったのですが、この批判に対してNIHや全米科学アカデミーはどう対応していったかもレビューしていきたいと思います。

NIHガイドラインの制定

 内田 ガイドラインに添付されたFredrickson長官の書簡やガイドラインの序章を読むと、それらのことがよく分かります。
 ガイドラインはNIHの研究補助金によって行われる組換えDNA実験を対象とし、1976年6月23日付をもって公布されました。組換えDNAの危険は実証されたものではなく、推定ないし仮想されたものです。研究者からの依頼に応じたもの(Berg書簡、第4回を参照)とは言え、そのすべての可能性を検討することは不可能です。したがってNIH長官の直接の権限が及ぶNIH研究補助金による研究を対象としたようです。この方針はわが国の文部省指針にも受け継がれました。また、このガイドラインの環境影響評価は連邦環境政策法(National Environmental Policy Act, NEPA, 1969年)に従って行われることになりました。1975年のアシロマ会議の最終報告書勧告はこのNIHガイドラインの制定という形になって実行されたのです。
 アシロマ会議からガイドライン公布までの16か月の間に提起されたいろいろの問題点は学界でも、また社会的にも広く公表されました。NIH組換えDNA諮問委員会(Recombinant DNA Advisory Committee, RAC)はこれらを公開の場で検討し、さらにNIH長官諮問委員会(Advisory Committee to the NIH Director, DAC)もこれらを討議しました。RACはこの間に3種類のガイドライン案を用意し、十分に検討しました。DACは法規、倫理、消費者、環境を代表する顧問たちと相談のうえ、ガイドラインが社会的にも科学的にもバランスのとれた役割を果たすことを求めました。
 NIHはガイドラインに関する情報をできるだけ広範囲に伝える義務があるとの考えから、約2万5000部をNIH研究補助金の受益者や契約者全員に送付しました。この分野の主要な国内外の専門学術誌にNIHガイドラインの支持を求め、また国際的な保健・医学生物分野の諸学会にもガイドラインの写しを配布しました。
 環境影響評価は組換えDNA実験を行う研究機関の存在がもたらす恩恵とリスクについて連邦、州、地方や一般公衆がよく考える機会を提供するため必要でした。関係者からのコメントや意見を広く聞くために、ガイドラインの制定に関する議事録、草案などは官報(Federal Register)1)に掲載されました。

禁止実験のコンセプト

 内田 NIHガイドラインの特徴の一つは禁止実験(Prohibition)の設定です。その原型はアシロマ会議の報告書の中にある〈延ばすべき実験〉です。NIHガイドラインでは次の6種の実験をその時点では実施しない実験として指定しました。
1.米国疾病防止センター(Center for Disease Control, CDC)によってクラス3、4、5に分類される病原体に由来する核酸の組換えDNAの作成、および米国がん研究所(National Cancer Institute, NCI)により中程度以上のハザードがあると分類されている発がん性ウイルスの核酸の組換えDNAの作成。
2.強力な毒素(例えばボツリヌス、ジフテリア、昆虫、蛇の毒素など)の遺伝子を含む組換えDNAの意図的な作成。
3.植物病原体の病毒性、宿主域を増大する可能性のある組換えDNAの意図的な作成。
4.組換えDNAを導入したあらゆる生物の意図的な環境放出
5.ヒト、家畜、農作物の病害防除用薬剤の使用を難しくするような薬剤耐性を薬剤感受性微生物に伝達すること。
6.有害な生成物を作る組換え体を10l以上の規模で培養すること。ただし、RACの承認があれば実施できる。
 大腸菌の使用を禁止すべきである、との意見も出されましたが、ガイドラインで述べられている大腸菌とはK12株に限られており、この菌株に限っては大量に投与してもヒトの腸内に定着することがなく、その基礎研究は他のいかなる生物についてよりも進んでいるという理由で特例的に認められました。
 炭田1976年のNIHガイドラインの制定にあたって、NIHはどんな根拠に基づいて、どんな組換えDNA実験をどんな条件で自主管理すべきだと説明していますか?
 内田 ガイドラインの底にある安全性コンセプトの根拠は科学的な「事実」と「仮定」の両方に基づくことをNIHは正直に認めています。自然界で大腸菌とDNAを交換することが「事実」として認められている生物を用いた場合は、自然界で起こる現象が組換えDNA実験で再現されるだけですが、自然界でのDNA交換が起こることが認められていない場合には未知の好ましくない現象が起こる可能性を否定できないと「仮定」し、NIHガイドラインはより高度の封じ込めを設定しています。ただし設定した封じ込めレベルについては、その当時のおおかたの常識に従いました。また、「安全である」という正当な理由を指摘できない場合には、「安全でないかもしれない」という仮定に立って、注意深い慎重な条件を要求しているのがNIHガイドラインの特徴です。当然、科学の進歩に従ってNIHガイドラインを定期的に見直すことを宣言しています。
 増田 仮定の中で安全サイドの方向に考えているので、科学的知見が増大して仮定していた部分がより明確になれば、それにあわせてガイドラインを修正するのが当然だということです。
 石川 その後NIHガイドラインにならって多くの国がそれぞれの対応をしました。我が国もNIHガイドラインに準拠して組換えDNA実験指針を制定したわけですが、その辺の状況はどうだったのですか?
 内田 我が国ではNIHガイドラインが公布されてから2年9か月後の1979年3月31日に文部省が公示した「大学等の研究機関における組換えDNA実験指針」が最初のガイドラインであったことはよく知られています。これはNIHガイドラインにほぼ準拠したものであります。しかしNIHは文部省公布の少し前、つまり1978年12月22日にはすでにガイドラインの第一次改訂(緩和)を実施しました。我が国はNIHの改訂前のものに準拠したままでしたから、この時点で安全性コンセプトに関して日米で大きな差が付いてしまいました。
 炭田 NIHガイドラインは、NIH研究補助金を受ける研究機関に対して組換えDNA実験に係わる安全の確保を図るため機関内安全委員会(IBC)の設置を義務づけるというのが一つの特徴だと思いますが、IBCの役割やNIH組換えDNA諮問委員会(RAC)との関係をご説明いただけますか?

機関内安全委員会(IBC)と自主管理

 内田 機関内安全委員会のコンセプトにはそれなりの歴史があります。その基本は、NIHの研究予算の配分はピア・レビュー(科学者自身による相互.評価)によるという伝統に示されるように、研究者の自主管理の意識を重要視するという思想が大きな影響を与えています。
 NIHガイドラインでは、その順守の責任は次のような者が分担すべきであると記載されています。①機関の実験主任者(Principal investigator);提案された実験計画について、現実に起こったハザード(バイオハザード)と、起こる可能性があるバイオハザードが何であるかを推定することをはじめ、実験の性格や細部の把握、実験従事者の監督、事故防止緊急措置の準備など、実験主任者は非常に重要な役割を課せられています。②実験機関(institution);NIHガイドラインは機関内バイオハザード委員会(Institutional Biohazards Committee、始めはこう呼ばれていました)の設置を義務づけ、その役目として所長の補佐、情報の収集、P4実験施設要項の作成、NIHに対するガイドライン順守の保証と報告などを規定しています。③NIH補助金審査グループ(NIH Initial Review Groups、Study Sections);NIHガイドラインはNIH研究補助金を受ける者を対象にしていますから、実験のNIHガイドラインへの適合性も含めて研究計画の支援をピア・レビューにより推薦したグループにも当然責任があることになります。このグループは実験主任者とは独立の立場で研究計画を評価します。しかし判断の困難な場合にはRACに持ち上げることができます。④NIH組換えDNA諮間委員会(RAC);組換えDNA技術に関してNIHが行う決定を補佐する。その委員は生物科学全体を視野に入れ、組換えDNA技術およびバイオセイフティーに関して精通した知識を提供できる者の中から選ばれる。委員のうち少なくとも20%は関連のある法律、一般市民への対応、職業医学、専門技術の実施などの専門家とすることになっており、また連邦政府からの代表者は投票権を持たない。⑤NIHスタッフの各人の役割と責任の所在についても述べています。ちなみに、IBCは後に機関内安全委員会(Institutional Biosafety Committee)と名前が改められます。

緩和の準備1:
大腸菌K12株は病原菌になり得るか?(ファルムス会議)

 内田 1976年から組換えDNA実験をめぐって、アシロマ会議で論議しなかった重要な点についてそれを補うためのいろいろなワークショップが開催されます。RACは生物学者と臨床細菌学者を集めて、大腸菌を用いた組換えDNA実験の危険度評価を行うことを1976年9月の会議で提案します。1977年6月20日から21日までNIHの主催により、Tufts大学医学部細菌学・伝染病学教授のSherwood Gorbachが議長となり、米国内外から約50名の臨床伝染病学者、腸内細菌学者、伝染病学者、消化器病学者、内分泌学者、免疫学者、細菌遺伝学者、動物ウイルス学者が米国マサチューセッツ州ファルムス(Falmouth)に集まりました。これらの専門家はアシロマ会議には参加しなかった顔ぶれです。ファルムス会議はアシロマ会議の結果を補うために、大腸菌K12株の安全性について重要な指摘を行いました。議長が重要な結論として述べたことは、<大腸菌K12株は実験室での組換えDNA導入では流行性伝染病菌には変えられない>ということでした。NIHは新しく発行した“Recombinant DNA Technical Bulletin”の第1巻第1号の誌面を使って速報的に紹介し2)、さらに国際的に権威のある伝染病学会誌に討論の記録も含めた100ページにわたるProceedings3)を発表するほどこの会議に力を入れました。
 増田 大変興味深いです。残された疑問や仮定に対してその分野の専門家が集まって、あらたに論議して結論を出していくというやり方はまさに科学的アプローチです。どのような科学的事実や具体的実験例に基づいて大腸菌の安全性が論議されたのですか?
 内田 会議の前半は大腸菌の感染に関する発表が続きました。菌体表面の毒性因子;大腸菌による毒素産生;大腸菌の毒性に影響を与える因子;宿主の防御機構;腸内菌叢およびプラスミド保持に与える抗生物質の影響;ヒトに対する感染実験;K12株の特殊性;既知の毒性遺伝子を持つプラスミドを導入した大腸菌K12株をヒトに飲ませる実験。特に注目されたのは赤痢菌(Shigella flexneri)の毒性に関与することが知られているすべての遺伝子を導入したK12株をヒト(ボランティァ)に飲ませた実験でしたが、下痢の症状は現れず、K12株の排泄も6日以内に観察できなくなりました。また、子牛、山羊に病原性を示す大腸菌プラスミドを移したK12株を子牛に飲ませ、30時間後に解剖したがK12株の増殖が認められなかったことを示した実験です。比較の対照として赤痢菌を飲ませた子牛は16時間後に重い下痢症状を呈し、30時間後には瀕死の状態でした。類似の実験がニワトリを使っても行われました。
 組換えDNA実験での基本的問題は、組換えDNA技術が作る組換え体の新規性です。この技術によらずに、自然界で<種>の壁を越えて遺伝子が<異種>の細胞に導入され、組み込まれる現象が存在するのかどうか、もし存在するならばそれはどのようにして検出できるか、という疑問でした。たとえ微量であろうとも<種>の壁を越えるDNA組換えが自然界でも起こるのであれば組換えDNA技術を特別視する根拠は失われることになります。たとえ毒性に関与するDNAが異種生物に移ろうとも、それが自然界でも起こることであれば組換えDNA実験によって生じた組換え体は新規な生物ではありません。したがって、そのような場合は実験室で作った組換えDNAだけを<封じ込めて>おくのは片手落ちであり、ガイドラインを必要とする根拠はなくなります。
 石川 全くそのとおりですね。それを具体的にどのような実験によって証明するかは重要な問題ですね。ファルムス会議ではさらにどんな科学的なディスカッションが行われたのですか?
 内田 ファルムス会議の後半では大腸菌の危険度評価のための具体的実験計画についてブレイン・ストーミングが行われました。会議参加者が関心を示した事項は次のようなことでした。
 実験1:プラスミドを持つ大腸菌K12株をヒトの腸内に定着させ、プラスミドの伝達を検出する。そのため実験プロトコールが何種類も提案されました。
 実験2:大腸菌K12株およびχ1176株(K12株をさらに虚弱化した大腸菌)を用い、無菌マウスでプラスミド伝達実験を行う。
 実験3:毒性または腸内定着性を増強する組換えDNAプラスミドを持つK12株の性状実験。
 実験4:組換えDNA技術で発現の成功したホルモン生産株を用いて危険度評価を実施する。
 実験5:毒性または腸内定着性を増強させるためのショットガン実験の実施。
 実験6:大腸菌宿主ベクター系に組み込まれたポリオーマ・ウイルスの感染性試験。これは生体内で大腸菌DNAから宿主の細胞に遺伝情報が移るかどうかを検定しようとする重要な実験です。この実験はS.Brennerが1975年12月5日に提案し、M.A.MartinとW.P. RoweがNlHで実施することを約束します。しかし、この実験はP4施設で実施することがガイドラインで規定されており、NIHでは当時まだP4施設を建設中でした。これらの実験計画はその後の安全性論議と相まって、少しずつ実施されていくことになります。
 増田 病原性というものは複雑なメカニズムに基づくものであって、大腸菌K12株という虚弱体質の菌にいくつかの遣伝子を組換えDNA技術で入れたくらいでは、突如それが病原菌に化けてしまうようなことは起こるとは考えられない、ということですね。つまり、病原性には多くの遺伝子が複雑に関与しており、病気が起こるまでいろいろなステップがある。遺伝的によく調べられている大腸菌K12株にいくつかの遺伝子を組み込むだけで、偶然これらのステップが追加されて必要な因子が全部整い、病原菌になるとは考えられないということですね。偶然ではなく意図的に病原菌を作るとしたらどうでしょうか?
 内田 意図的に病原菌を作ろうとすれば、例えば犯罪行為として細菌兵器を作ろうと意図して大変な努力をすれば理論的に不可能ではないかもしれない。しかし大腸菌K12株を使ってはできない、というのがファルムス会議の結論でした。さらに本当に細菌兵器を作りたいのなら、すでに多くの強力な天然の病原菌があるわけです。病原菌が現にあるのに、わざわざ弱い菌から大変な努力をして病原菌を作ることはないですね。
 しかし、組換えDNA技術がもしかしたらこれまで以上に強力な生物兵器の開発に役立つのではないかと一般の人が心配することがあるかもしれません。現行の生物兵器禁止条約の条文が組換えDNA技術による生物兵器の開発を制約するのかどうかを改めて検討するため、1977年8月9日、Harvard大学とマサチューセッツエ科大学(MIT)の分子生物学者、物理学者たちがMITに集まり小さな会合を開催しました4)。参加者にはD.Baltimore、B.T.Feld、M.Fox、W.Gilbert、M.Meselson、A.Richなどが含まれていました。参加者全員が生物兵器禁止条約はすべての生物兵器を禁止するもので、開発の方法、用いる生物または物質の性質には無関係であること、組換えDNA技術による遺伝子改変は放射能、変異誘導物質の利用などによる従来の遺伝子改変と原理的には類似したものであり、生物兵器禁止条約の第1条が規定する枠組みを越えるものではなく、禁止条約の文面、定義を変更する必要のないことを改めて確認しました。アメリカで'は、組換DNA技術が従来の変異体作成法と本質的にはなんら変わるものではないことを1977年に早くも指摘しているところはさすがだ、と感心します。
 増田 明治以来今日に至るまで、日本は欧米に対してキャッチアップを目指してきた。どの分野でも同じだと思いますが、特に安全性の問題に関する知見の蓄積をアメリカに依存してきた。科学的知見を集積して安全性を論じていくというベースのところを日本はあまりやってこなかったという弱さがある。今後、日本がフロント・ランナーとなる場合にはこれだけのことを自分でやる必要があるのだということをきちっと認識しておかなければいけない。「この技術なり、この製品は安全である」ということを自分で証明しなければいけないということは大変なことなわけです。そういう点からいくと、アメリカではこれだけやり尽くして実はここに到達したんだという背景を知ることは非常に役立ちます。
 内田 病原体を同定するのに「コッホの条件」というのがあります。これは「特定の病気は特定の病原菌によって起こる」という仮定を指し、英語では「Postulates(前提)」と呼んでいるのに、コッホに学んだ我が国の細菌学者は病原体の証明手順の意味にとれる「条件」と呼んでいるのをおもしろく思います。病原細菌学はコッホに始まり、彼を中心とした学派がわずか30年ほどの間に主要な細菌病原体のほとんどを同定しています。もちろん、日本の北里柴三郎や志賀潔もその仲問に含まれます。さてコッホの条件とは、「特定の感染症から常に特定の病原菌が分離でき、これを純粋培養して、健康な実験動物に接種すれば同じ感染症を発病し、その動物個体からまた同じ病原菌を分離できる場合にその病原菌をその感染症の病原体として同定できたとする」というものです。病気を目印に病原細菌学者はまれな病原体を次々に同定していき、最後には日和見感染菌まで記述を広げていきます。どういう場合に弱い菌でも病原性を持ち得るかということについて、細菌学者は相当の知識を蓄積してきました。ファルムス会議の結論の背後にはそのような知識の集積というベースがあります。

緩和の準備2:
ウイルスの組換えDNA実験の安全性について(アスコット会議)

内田 アシロマ会議を補うもう一つの重要な会議として、英国のアスコット(Ascot)で1978年1月27日から29日に開催された会議がありました。これはNIHと欧州分子生物学研究機構(European Molecular Biology Organisation、EMBO)の共催によるワークショップでウイルスのDNAを含んだ組換えDNA実験の持ちうる危険性を討議するために招集されたものでした。会議に参加した科学者は臨床感染症、公衆衛生、医学および診断ウイルス学、ウイルス感染生物学、ウイルス生化学、植物、昆虫ならびに家畜ウイルスの専門家でした5)
 ウイルスとは遺伝物質としてDNAかRNAのいずれかの核酸を持ち、生きた細胞の中でのみ増殖できる微生物です。ウイルスが感染し、ウイルス病が発生するためには、一連の複雑な過程が順序よく起こる必要があることが分子レベルで急速に解析されていた時代でした。ウイルスは種によって異なりますが、3ないし150、あるいはそれ以上の遺伝子をもち、ウイルスが増殖するためにはそれぞれの遺伝子がタイミングよく制御されながら、しかも釣り合いのとれた状態で働くことが必要です。したがって、ウイルスの核酸の断片のみでは基本的には危険はないであろうと予想できました。
 アスコット会議は動物ウイルスを研究室で保有し、安全に取り扱うために必要とされる操作について広範な討論を行いました。特に近い将来ベクターとして、あるいはDNA供与体として使われる可能性のあるウイルスが討論の対象となりました。参加者は全員、ウイルスの取扱い規準が国によって異なることは避けられないことは認めましたが、ウイルスの危険度に従ったこれまでの分類はどれ一つとして満足のできるものではないという意見でした。そこで動物ウイルスを次の規準に従ってランク付けを行いました。
① ヒト、特に研究者(成人)に起こす病状の激しさ
② 研究室で働く人に対する感染力
③ 研究室での感染が社会への拡散につながる危険性
④ そのようなウイルスの拡散が環境と社会に与える影響
の4点に注目して22種のウイルスを分類し、比較対照のため4種の細菌と1種のリケッチアを含む表を作成し、公表しました。
また・ウイルスDNAを組換えDNA技術で取り込んだ大腸菌K12株の危険度評価の解析を行いまししそのため次のような現実にはありそうもない<最悪の事態>を想定しました。動物ウイルスの全ゲノムを持った分子が何らかの原因で野生型の大腸菌に定着し腸内フローラ全体に分布したら、どんな結果が生じると考えられるのか?ウイルスの核酸が宿主細胞に接近する機構と遺伝子の発現機構について論議が集中しました。大腸菌(原核生物)の遺伝子の発現機構が動物(真核生物)のそれとは大きく異なっていること、特に顕著な差異としては、大腸菌にはRNAのスプライシング機構が存在しないこと、またRNAのキャップ機構も存在しないこと、ポリアデニル化、あるいはリボソーム結合部位など、メッセンジャーRNAの生合成メカニズムに違いがあることが挙げられました。したがって正しいmRNAの合成も、またそのmRNAのウイルス蛋白への翻訳もともに大腸菌では起こらないだろう、という結論でした。
 炭田 ウイルスの組換えDNA分子を持った仮想上の生物が腸内に閉じ込められた場合にはどうなりますか?
 内田 組換えDNA分子を導入された細菌が宿主の腸内に定着しているモデルでは、ウイルスのRNAやDNAが宿主の粘膜細胞膜を通して感染できないと考えられました。その理由として、①腸内に存在する大量の核酸分解酵素が素早く組換えDNA分子を分解するであろうし、②ウイルスの核酸のみによる宿主細胞の感染効率は非常に低い。また③動物実験の結果、ポリオーマ・ウイルスDNAは経口または経鼻の条件では感染を開始できないことが示されたためです。
 もう一つのモデルは、ウイルスの組換えDNA導入された細菌縮主の他の組織に接近する場合です。これには二つの場合が考えられます。第一は腸粘膜を通して細菌が食細胞に摂取されることがあり得ます。食細胞に入ると細菌は溶かされ、核酸はリソソーム中の核酸分解酵素によって速やかに分解され、ウイルス感染を起こすことはできません。第二の場合は泌尿管や外傷などの腸管以外での感染です。このような現象はごく少数の人にしか起きませんが、それらの場合を個々に考察した結果、ワークショップ参加者はウイルス・ゲノムを大腸菌K12株に導入した場合、感染力のあるウイルス粒子あるいはその核酸を取り扱う場合以上の危険は存在せず、大部分の場合には危険がより少ない、という認識で合意しました。したがって用いるウイルス自身がより高い物理的封じ込めの下で取り扱わねばならぬ場合を除き、いかなるウイルス・ゲノムまたはその断片を導入する場合でもP2レベルの封じ込め(正確にはEK1P2)が適切であると勧告しました。ちなみに、1976年のNIHガイドラインでは、霊長類や動物ウイルスDNAについて、P4レベル(EK2P4)またはP3レベル(EK3P3)が設定されていましたから、アスコット会議はこのNIHガイドラインの緩和を勧告したことを意味します。それ以後も活発なScience Baseの論議により安全性のコンセプトがさらに進化し、ガイドラインが緩和されていくことになります。
 増田 日本ではアシロマ会議だけがよく知られ、また言及されます。しかし、アシロマ会議は単なる出発点にすぎない。その後NIHガイドラインの策定、ファルムス会議、アスコット会議等々へと続いていく一連の活動の全体の流れを把握することが、科学的方法論が先導する安全論議を正確に理解するために是非必要だということがよく分かります。
 石川 大変明解なご説明ありがとうございました。次回からは米国でのガイドラインの緩和の流れとその底にある安全性コンセプトの変遷をさらにレビューしていきたいと思います。

○参考文献
1)Federal Register, 41、27902〜27942(1976)
2)S.Gorbach: Recombinant DNA Technical Bulletin, 1(1),19〜23(1977)
3)J.Infectious Diseases, 137、613〜714(1978)
4)Michael B.Callaham and Kosta M. Tsipis Recombinant DNA Technical Bulletin, 1(4)、38〜40(1978)
5)M.A.Martin,W.P.Rowe and J Tooze, Recombinant DNA Technical Bulletin,1(3)、24〜37(1978)

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