石川 過去3回の座談会で、組換えDNA技術に関して科学者による実験段階の安全論議からOECDに持ち込まれて産業化段階の安全論議をするまでの大きな流れをレビューしてきたわけですが、そういう中で「Science Baseで安全性を考える重要性」というのが明確になったわけです。改めて今回からは、Science Baseで何についてどういう議論がなされた結果、どこでどういうコンセプトが生まれてきたのかということを、より詳細に整理していきたいと思います。その中で、今の日本の実験指針あるいは産業化指針が、そういうScienceの議論の過程からいくと、世界のいつ頃の議論に相当する内容を持っているのかということが自ずとはっきりしてくることを期待します。
増田 特に初期の頃の経緯は内田先生が一番詳しくて、ほとんど全面的にお頼りせざるを得ないですね。全米科学アカデミー等がいろいろなコンセプトを出していますが、Scienceのどんな事実をBaseとして何をどう考え判断したのかが明らかになることを期待したいと思います。これまでの安全論議においてScientificな認識が量的にではなく、質的に変わったポイントがいくつかあります。そのポイントを抽出してその中身が何であるかというのを今後は明らかにしたい。
なぜそういう思いを持つのかと言いますと、日本でこういう議論がされる時には、アメリカでできた結果だけを見て、「アメリカがP1、P2とかいう物理的封じ込めで何々したから」とそのまま写すような議論が多い。その陰に隠れた認識の変化というものは往々にして忘れ去られています。事実に基づくScientificな認識がこう変わったからコンセプトがこう変わり、対応がこう変わったということをちゃんと理解しない限り、日本では永久に同じ問題で堂々巡りをして不毛な議論をするという事態になりかねない。だから、表面に結論として出てきた変化のみではなく、それをもたらした科学的認識なり理解のBaseのところを是非掘り起こしてはっきり見える形にするというのが、非常に重要だと思います。そうすることによって、日本における組換えDNA技術の安全性に関するScientificな理解が確実なものとなり、”今後どうすべきか”という議論の前提を構築することができるという気がします。
石川 では、まず内田先生に、組換えDNA技術が登場する以前にScienceの世界でどんなことが発見され、どんな安全論議がされていたかをお話しいただきたいと思います。
生物科学の爆発的発展
内田 私は、組換えDNA実験をめぐる安全論議の推移はデモクラシー成長の身近な実例として評価したいと思います。ここにアメリカの強さの原因が隠されており、我々にとって汲み取るべき教訓がたくさん示されているのではないでしょうか。いわゆるNIHガイドラインの制定とその成熟の期間(1975〜1981)にNIH(米国国立衛生研究所)の長官を務めたDonald S. Fredricksonが貴重な記述1)を残していますので、まず、これを参考にしながら当時を振り返ってみます。
1944年に、O. T. Averyら(Rockefeller研究所)により、肺炎双球菌の形質転換がDNAによって起こることが打ち出されました。遺伝物質とは化学的にはDNAであるという最初の発見でした。
一方、同じ1944年に、ルーズベルト大統領が戦時研究の統轄者であったV. Bushにアメリカの科学政策のあり方について報告を求め、「科学−限り無きフロンティア」がまとめられました。ここに初めてアメリカに科学政策が形成されるとともに、医学、科学の研究を連邦政府が継続的に財政援助することを指示しました。これによってアメリカの科学研究機関では、基礎研究を行い若い研究者を育てる余裕が生じました。研究予算の配分は科学者自身による相互評価(ピア・レビュー)により行われ、そのネットワークは国際的に広がる性格を持っていました。この自主的精神風土が、後のアシロマ会議における国際的な自主規制の合意につながる背景を作った、と考えられます。
石川 1944年と言えば日本にとっては第二次世界大戦の戦局が悪化した頃で、日本では基礎研究どころではなかったですね。そのころすでにアメリカでは基礎研究の強化の態勢を推進していたとは感心します。
内田 1947年には大腸菌にも雄と雌があり、両者の接合によって、すなわち形質転換とは異なる方法で、新しい組換え体が生まれることを、若いJ. Lederbergが発見しました。この実験に用いられた大腸菌K12株は、もともと1920年代にStanford病院で患者から分離されたもので、現在も世界中の実験室で基礎的研究に使用されています。さらに1952年には、N. ZinderとJ.
Lederbergにより、細菌の間でファージ(細菌に感染するウイルス)を媒体として遺伝子が菌体から菌体に移動する現象があることが発見されました。これは形質導入と呼ばれています。また、ウイルス学も分子生物学の進歩に大きな貢献をしました。ウイルスとは遺伝子をタンパク質で包んだ小さな粒子、携帯遺伝子とでも言うべきものです。すでに1906年にはP. Rousが、ウイルスがニワトリにがん(肉腫)を起こすことを発見しました。以来多くのウイルスが動物、特にマウス、ラット類に発がんさせることが分かってきました。
1953年にJ. WatsonとF. CrickによりDNAの二重鎖構造が明らかにされて、生物学の基本的課題である遺伝子の複製機構のモデルが示されると、医学や生物学の爆発的進展が始まりました。この分野に若い優秀な研究者たちが続々となだれ込み熾烈な競争を始めつつ、遺伝学、生物化学、微生物学、組織培養学、ウイルス学などをはじめ広い分野の科学を学際的に融合させながら新しい学問・研究領域を形成していきました。また、ショウジョウバエ、パン酵母、トウモロコシなどの遺伝子が解析され、「一つの遺伝子は一つのタンパク質を支配する」というコンセプトが出てきました。
仮想の危険
石川 このような熱気に満ちた生物科学の世界で、どのような経緯で安全論議が始まったのでしょうか。
内田 形質転換が発見されてから20年の間に、ウイルス学や細菌学の実験室では大勢の生物化学者、遺伝学者、細胞生物学者、分子生物学者などが研究に従事しましたが、彼らが病原微生物の取扱いの某本的訓練を受けていたとは思われません。Fredricksonの記述を参考にしますと、Paul Bergはかねてから、ファージが細菌にDNAを運ぶようにウイルスを使って動物細胞に外来遺伝子を導入できないか、と考えていましたが、1971年春、SV40ウイルスの核酸の一部を欠失させ、そこに大腸菌のガラクトース遺伝子DNAを入れ込もうと計画したのです。しかし学生は、SV40の染色体を大腸菌の中で増殖させる可能性にも強い興味を示しました。SV40というサルのウイルスは1960年に発見され、以来サルの腎臓細胞で継代培養されてきました。このウイルスに感染した細胞はハムスターにがんを起こすことが知られていました。サルの腎細胞は、当時ポリオ・ワクチンの製造に欠かせないものでしたが、ポリオ・ワクチンの一部にはSV40で汚染されたものがありました。
Bergらの研究計画を聞いて、当時31歳の微生物学者であったR.
PollackはBergに「がんウイルスの遺伝子は腸内細菌以外の細菌に感染するファージに組み込むべきである」と強く忠告したのです。BergはSV40に詳しいAndrew
Lewisに相談します。Lewisは、大きなアデノ・ウイルスが小さなSV40ウイルスと組換えを起こして雑種ウイルスを作り、増殖できることを観察していました。D.
Nathans、J. Watsonらもこの議論に加わります。結局、Bergはがんウイルスの危険性についての集会を開いて議論するまでSV40・ファージ雑種ウイルスを大腸菌に感染させる実験を延期することを決意します。
炭田 今のお話をまとめると、Bergらは自分の着想した実験設計の中に、仮想的ではあるけれども、危険性を伴う可能性があると批判される部分があることを認め、がんウイルスの取扱いに伴う危険を明確にするまで実験を自主的に中止するというコンセプトを打ち出し、それを率先して実行したということですね。その仮想的危険性をもっと具体的に言うならば、Bergの考えは次のように解釈してよいわけですか。
SV40とファージの雑種ウイルスを大腸菌K12株に感染させると、SV40のDNA断片が大腸菌に組み込まれる。もし、この組換え大腸菌がヒトの体内に入れば腸管に住みつくかもしれない。SV40ウイルスはハムスターにがんを起こすことが知られているので、ひょっとしたらヒトにもがんを起こす可能性も考えられなくはない。したがって、もしこの組換え大腸菌が発がん性を持つならば、ヒトの腸内に住みつくことは危険性を有する。この組換え体自身に発がん性がなくとも、SV40のDNA断片が何らかのメカニズムで他の菌に転移し、それが最終的にヒトにがんを起こすことも仮定できる。これらの仮定がすべてのケースで悪い方向へ進んだと仮定すれば、SV40・ファージ雑種ウイルスを大腸菌K12株に感染させるとヒトに発がんさせる可能性は否定できない。
内田 そのとおりです。1973年1月22〜24日、「第1回アシロマ会議」がBergの提案によってウイルスを用いた実験の安全性をめぐって開催されます。参加者は約100名の医学系生物科学者でした。その論点はがんウイルスのDNAでした。この会議で既知の病原性および非病原性ウイルスの中にヒトにがんを起こすものがあるか否かを丹念に検討した結果、該当するものは一つもなしとの結論が得られました。1950年代後半以来SV40に汚染されたポリオ・ワクチンを接種された数百万入についても発がんの種類、発生率に大きな変化が起きたという証拠はありませんでした。しかし、用心するに越したことはない、と考えられました。一方、安全設備、伝染病学的研究を配慮するには研究費が不十分であるとの指摘もされました。この時、組換えDNA技術はまだ問題にはされていませんでした。しかし、Bergの考えた実験は結局は実施されずに終わりました。
組換えDNA技術の登場とモラトリアム
内田 1973年6月13日に、核酸に関するGordon会議がアメリカのNew Hampshire州で開催されました。DNAの構造解析と細菌の制限酵素の発表の席で若いHerbert Boyerは、制限酵素が異なる生物起源の組換えDNAを試験管内でつなげるために利用できることを述べました。これは組換えDNA技術という新技術の登場を意味しました。それから会議は高揚した議論を行いました。Gordon会議は、議長が起草し参加者全員が合意した文書を1973年7月17日付で全米科学アカデミーに送り、組換えDNA技術は基礎医学・生物学の進展、健康福祉の増進に大切な技術となるが、ある種の雑種DNA分子は研究者および公衆に対して仮想的ではあるが危険であるかもしれないことの注意を喚起しました。全米科学アカデミーは安全性を検討する委員会の設置を決め、Bergをその議長に指名します。Bergを含む小人数の準備委員会が1974年4月17日、マサチューセッツ工科大学で開催され、勧告文を起草します2)。論点は4点ありました。
| 1. | 次の2種の実験にモラトリアム(自主的実験中止)を掛ける。 |
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| ① | 現時点で特定の抗生物質に対する耐性を持つことが知られていない菌に耐性プラスミドを付与すること、および毒素生産がない菌に毒素生産プラスミドを付与すること。 |
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| ② | がんウイルスや動物ウイルスのDNAをプラスミド(またはほかのウイルスDNA)とつなげること |
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| 2. | 動物DNAをプラスミドまたはファージDNAとつなげることについては慎重に評価する。 |
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| 3. | 組換えDNAのハザードを評価しリスクを最低限にとどめるための方法を確並し、組換えDNA実験ガイドラインを作成する事を任務とする諮問委員会の設置をNIH長官に提言する。 |
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| 4. | 組換えDNA技術が持つかもしれないハザードに対して適切な対策を論議するために科学者による国際集会を1975年始めに開催する。 |
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増田 日本で有名な1975年のアシロマ会議の前に、もう一つのアシロマ会議があった。それも組換えDNA技術の発明される前に、この技術とは関係のないアシロマ会議があったというのはおもしろい。日本では一般に1975年のアシロマ会議からすべてが始まったように受け取られていますが、その前にすでに科学的知見の長い蓄積と、安全性に関する科学的論議の歴史があった。その辺の認識の差が1975年のアシロマ会議の意味の理解に落差をもたらしている。
アシロマ会議(1975年2月24日〜2月27日)
内田 アシロマ会議(カリフォルニア州アシロマ)はBergを委員長としD. Baltimore、S.Brenner、R.O.Roblin、M.Singerを委員とする委員会によって運営されました。アメリカから約90名、その他12か国より60名が参加しました。彼らの大部分は第一級の科学者でしたが、科学者以外にも少数の法律家が参加しました。報道関係者は16名招待されました。Baltimoreが開会を宣言し、アシロマ会議の目的は実験のメリットの観点からではなく、ハザードの観点からどんな実験を実施してよいか、どんな実験は行わないことにすべきかを、議論することであると説明しました。
組換えDNA技術のセッションの講演内容は多分に技術的過ぎ、狭い専門分野での研究中心の説明となったきらいがありました。演者はそれぞれ第一級の科学者でしたが、ウイルス学者、プラスミドやラムダ・ファージの専門家、細胞生物学者らと、厳密な意味では異なる専門家の集まりで、それぞれの専門家は自分の専門領域を、いわば門外漢により不当に制約されたくないという雰囲気がありました。同じデータに対して正反対の結論が提案される事もありました。もっと重要なことは腸内細菌の病原性について知っている研究者はほとんど参加していないことでした。そのため、組換えDNA実験で使用される大腸菌K12株が危険な腸内病原菌に変化する可能性、あるいは動物の体内で他の微生物や宿主に危険な遺伝子を伝達する可能性がほとんどないことをアシロマ会議は評価できなかったと後々まで批判されることになりました。
議論が混乱し、会議をいかにまとめるのか見通しが立たなくなりかけましたが、その時、Brennerが発言しました;「組換えDNA実験に危険性が全くないと信じる者はいるか?」と。誰も手を挙げませんでした。そこで、その日の午後、Brennerは急きょ<生物学的封じ込めの有効性>を検討するセッションを編成し、安全な宿主・ベクター系の設計の可能性を議論しました。生物学的封じ込めのコンセプトの提案は組換えDNA実験の仮想的ハザードを封じ込めたばかりでなく、知見不足による科学者間の論議の紛糾も封じ込めたと言えます。
真核生物の組換えDNA実験については次の三つの仮想的危険性が指摘されました;①導入した遺伝子が細菌の中で発現し、毒性物質を生産しないか?②導入したDNAが細菌の毒性、あるいは宿主域を変化させないか?③DNAが植物または動物に感染し、これを変化させないか?
しかし、当時の科学的知見はこのような質問に答えるにはあまりにも貧弱でした。真核生物と原核生物のDNA翻訳過程が基本的に異なることすら解明されていなかったのです。ショットガン実験は最も危険な実験と評価されました。また法律家、法律学者による行政管理、社会責任に関する討議も行われました。
アシロマ会議の結論として、Bergは「組換えDNA実験は安全性を適切に考慮しながら進めるべきである」と締めくくりました。
会議終了後、NlH組換えDNA諮問委員会(Recombinant DNA Advisory
Committee、RAC)はその第1回会合を開きました。アシロマ会議運営委員会は全米科学アカデミーにアシロマ会議の最終報告書を提出し、アカデミーはこれを了承し、6月6日付Science誌および全米科学アカデミーのProceedingsに発表3)されました。この文書は会議に出席した専門家の間での合意事項を冷静に記述したもので、一般の人々に結論を納得して貰うために書かれたものではありません。その後アシロマ会議の合意事項は1976年にNIHガイドラインとして具現されました。かくて、約7か月(1974年7月18日〜1975年2月27日)におよぶ自主的モラトリアムは終わりました。
生物学的封じ込めのコンセプト
内田 このようにして“組換えDNA技術”の安全論議は、アシロマで始まったのです。しかし、微生物の安全性の論議はアメリカにおいては病原体の扱いということで、それ以前からあったのです。ただし、“生物学的封じ込め”というのは組換えDNA技術にかかわる論議の中で初めて世に出てきたコンセプトなのです。物理的封じ込めについては、「病原体」や「発がん物質」等に対してすでに危険性のランキングを表したものがあったのです。物理的封じ込め(P1、P2、P3、P4)というコンセプトを病原体の封じ込めの概念からすっかり借りて組換えDNA技術に適用したのです。
増田 今の先生のお話で、アメリカにはもともと病原体に対するRegulationがあって、それの具体的なやり方として以前から「物理的封じ込め」というコンセプトがあったということがよく分かりました。次に組換えDNAという新しい技術が入ってきた時に、「物理的封じ込め」だけでなく、「生物学的封じ込め」という新しいコンセプト、違う方法論をなぜプラスαしなければいけなかったのか、ということについてより詳しく説明していただけますか。
内田 大腸菌のいろいろな変異株は研究者が自分たちで開発し、作り出したものだから、生物学的封じ込めのためにふさわしい変異株も作れるわけです。天然の病原体を扱う場合はそういうことはできない。しかし大腸菌のK12株のようなものは多くの変異株を作り出せるわけだから、生物学的に弱くして使うことは皆の納得さえ得られればできるわけです。それがアシロマ会議で提案されたということです。
増田 今の話というのは、組換えDNA実験を行う場合、必要な範囲内で生物学的に弱い変異株を作る技術があるのだから、それを、安全性を確保する目的で意図的に使ったらいいではないかということですね。したがって「生物学的封じ込め」というコンセプトは、変異株があることと変異を起こしうる技術があることが前提となって初めて成り立つコンセプトですね。
内田 そうです。それは生き物としての生存性という外堀さえ埋めて安全を確保しておけば、その範囲内ならどんなものができても、そのリスクはマネージできるだろうという概念です。中身の危険性は具体的にあるかないか調べなくても、環境中での生存性がないのであればリスクは限定されるので実験はできるではないかということです。そういう考え方で「生物学的封じ込め」というのが物理的封じ込めの上にさらに加わったわけです。生物学的封じ込めというコンセプトを入れることによって、本当に害があるかないかというチェックを実際にする必要性を省略してしまったわけです。つまり、安全性の試験をしなくても、二重の封じ込めをして安全を確保しているのだから、これでいいだろうという考え方です。
増田 病原菌は物理的封じ込めだけでマネージできるということだったわけです。そうすると組換え体については、本来は物理的封じ込めさえやれば十分であるけれども、生物学的封じ込めは技術的に可能なのだから、さらに大きな安全係数を見込んでそれもやったということになる。
内田 そうですね。もう一つは、病原菌の扱いに習熟しないで組換えDNA実験を行う研究者の人口が急増したということです。日本の場合で言うと、病原細菌学者が扱えば安全上心配はないのだけれども、病原菌を扱ったことのない一般の生物学者が扱う時には、余計なお節介かもしれないけどこういう二重の枠をはめておけばより安全であろうという老婆心が働いているのです。
別表 組換えDNA技術に関する仮想の危険と自主規制に至るまでの系譜
年 |
人・組織・会議名 |
発見・発明/コンセプト |
備 考 |
1906 |
P.Rous |
がんウイルス発見 |
ウイルスがニワトリに肉腫を起こす |
1944 |
O.T.Averyら |
形質転換の発見 |
肺炎双球菌の遺伝形質がDNAによって異なる菌株へ移る |
(1944) |
F.D.Roosevelt |
米国連邦政府が医学、科学の研究を継続的に財政援助することを示唆 |
|
(1945) |
V.Bush |
「科学−限りなきフロンティア」 |
西部開拓なきあとのフロンティアとして科学をとりあげ、ヨーロッパ依存から脱却してアメリカの科学を育てることを提言 |
1947 |
J.Lederberg |
接合による遺伝子組換えの発見 アメリカの科学政策の出発 |
大腸菌の雌雄が接合により新しい組換え体を作る |
(1950) |
全米科学財団(NSF)の設立 |
形質導入の発見 |
科学者の自由な意思による自由な科学研究を政府から独立して支援 |
1952 |
N.Zinder & F.Crick |
DNA二重鎖構造の発見 |
ファー時を媒体として最近の間で遺伝子交換が起こる |
(1953) |
J.Watson&F.Crick |
仮想の危険性 |
生物の複製の基本的メカニズムを解明 |
1971 |
P.Bergら |
がんウイルスの遺伝子を腸内細菌に感染するファー時に組み込む実験を自主的に規制 |
|
1973 |
“第1回”アシロマ会議 |
組換えDNA技術の発明 |
既知ウイルスのヒト発がん性について論議 |
1973 |
S.Cohen & H.Boyer |
||
1973 |
Gordon会議 |
組換えDNA技術の有用性と安全性につき全米科学アカデミーへ提言 |
|
1974 |
全米科学アカデミー |
自主規制(モラトリアム) |
組換えDNA技術の安全性を検討する会議の設置を決定 |
1974 |
Berg委員会 |
生物学的封じ込め |
4項目からなる勧告文を起草 |
1975 |
アシロマ会議 |
実験ガイドライン |
安全論議のための国際会議 |
1976 |
NIH(米国国立衛生研究所) |
自主規制の制度化による実験再開 |
増田 それまで病原菌を扱ってきた入よりも、ある意味では素人が触るのだから、プラスαの鍵をかけておくというのが生物学的封じ込めを採用した根底にあるのです。たしかにリスクをマネージする場合、どのような分野でも、最後は実際にそれを扱う人、使う人の資質が重要な要素となる。使う人の資質の水準にあわせてリスク・マネージメントの方法を考えないといけない面が出てくる。扱い方に習熟した専門家であれば、素人の目には危険にみえることでも、いとも簡単に安全に扱ってしまう。
内田 そうですね。実際に日本の昔の細菌学者というのはプロ中のプロでしたから、バーナーと無菌箱というごく簡単な道具の中ですべてを安全にやったのですね。実験室感染というのは全くなかったわけではないんですが、そういうことをやるのは素人だというような言い方をされていました。むしろ細菌学者は病原菌をちゃんと安全に扱えるというところを自慢していた時代もあったということです。
○参考文献
1)D.S.Fredrickson、Asilomar and Recombinant DNA:The End of the
Beginning.“Biomedical Politics”K.E-Hanna,Ed.,
p.258〜298, National Academy Press, Washin-gton, D.C.(1991)
2)P.Berg,
D.Baltimore, D.W.Boyer, S.N. Cohen, R.W.Davis, D.S.Hogness, D.Nathans,
R.Roblin, J.D.Watson, S.Weissman and N.D.Zinder:Potential
Biohazards of Recombinant DNA Molecules., Sicence, 185(July 26, 1974),3034
3)P.Berg,
D.Baltimore, S.Brenner, R.O.RoblinIII and M.F.Singer,
Summary Statement of the Asilomar Conference on Recombinant DNA Molecules. Proc.Natl. Acad.
Sci., USA 72 (June 1975), 1981 翻訳;雑種DNA研究に関するアシロマ会議報告:科学、44、755〜758(Dec.1975)