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付録1 英国審議会のメンバー及びコンサルタント
(本報告書にまとめた試験を実施した期間中の在任者)
委員長
メンバー
コンサルタント

付録2 協力団体及び個人のリスト
本試験の期間中、英国審議会に対して、文書による科学的根拠の提出または援助等、間接的に協力した団体及び個人。
* : 英国審議会の公式会合において、口頭で科学的根拠を提供し他個人。
+ : 英国審議会委員が訪問した際に、口頭で科学的根拠を提供した個人。詳細は本付録の最後に列挙した。
政府各省
その他の団体
個人
訪問先
本試験の期間中に、the Royal Commissionのメンバーが訪問した団体。
  1988年2月3日:
1988年6月3日:
1988年6月23, 24日:


付録3 科学的根拠の提出を求める英国審議会からの書状(1986年7月)

英国審議会は、新委員長サー・ジャック・ルイスのもとで、来年1年間ぐらいを目途に次の3項目について調査することになった。その3項目は、遺伝子操作生物の環境への放出、淡水域の水質変化、そして、これまで数年をかけて作られた、「最も実際的な環境の選択」という概念の適用についてである。
ついては、遺伝子操作生物の環境への放出に関する研究に関して、英国審議会が考慮すべき科学的根拠を貴団体からも提出されるようお願いする次第である。この研究では、動植物から微生物に至るまで、すべての生物を対象にする予定である。
英国審議会がこの研究を行うことにしたのは、今後、一般の人々の関心を呼びそうな問題に対して客観的な評価を下すことが、議会に対しても、また一般の人々に対しても大事な責務であると考えているからである。一般の人々の議論の場に時宜を得た助言等をすることによって、英国ならびにEC、欧州共同体における実質的なガイドラインや法的規制の作成に役立てばと願っている。この調査では、潜在的利益を調べるために遺伝子操作生物を環境に放出した際の自然発生的なリスク、および遺伝子操作生物を実験的に環境に放出した場合にも、またその後に環境において使用した場合にも、とりわけ拡散のモニタリングおよび遺伝子操作生物の管理の面から、優れた措置を確実に設定するためには、現行の指針や法規で充分かどうか、といった幅広い事柄について調べる予定である。
英国審議会では、すでにそれらの幅広い事柄以外にも取り組むべき課題を特定して、添付Aに挙げた。
この重要な事項に関して、すでに明らかにされている事柄については、本状および添付文書にも示したが、関連事項をすべて網羅したとは言いがたく、したがって、本件に関して英国審議会が考慮に入れるべきであると貴団体がお考えの問題点等で、ここに記されていないものがありましたら、その科学的根拠を、ぜひともお寄せいただきたい。
科学的根拠の準備にあたって、英国審議会に役立つと思われる出版物や容易に入手できる資料を添付すれば、関心を集めやすいと考えられることは当然である。特定の提出物を添えて貴団体の意見を寄せていただくには、準備等時間を要しましょうが、そういった資料が速やかに入手できれば幸である。1986年10月31日までに科学的根拠を提出願いたい。
科学的根拠の提出ならびにその他の連絡等はすべて、審議会事務局長あてに寄せられたい。住所は上記の通り。尚、貴団体より科学的根拠を提出される意向の有無について予め連絡いただきたい。今後数ヵ月の作業スケジュールを組むうえで大変に助かる。また、提出のご意向がある場合、提出の予定日と大まかな内容についても併せて連絡願いたい。

署名:The Royal Commission事務局長


添付A 遺伝子操作生物の環境への放出に関するRCEP調査

1.本調査では、可能な限り以下の3つを区別する。

(a)遺伝子操作生物:DNA操作(rDNA)手法を使ってDNAを改変した生物や、細胞融合、形質転換、形質導入、トランスフェクション、接合、マイクロインジェクションおよびマイクロカプセル化といった技術によって、種を越えて遺伝子情報を入れ替えた生物。
(b)遺伝的選択:例えば、農作物の他家受粉といった昔から行われてきた品種改良および選択の技法や、微生物の突然変異や選択によるもの。
(c)進化の過程における自然選択

2.生態学的、環境学的、倫理学的に見て、上記の1(a)による生成物と1(b)による生成物との間に何らかの有意な違いはないか。さらに、環境に新たにこれらの生成物を放出することと、自然選択によって得られた外来生物を放出したり、あるいは外来生物を自然にはあり得ないほど大量に放出したりすることの間に、何らかの有意な違いはないか。

3.事前放出試験におけるrDNA生物の複製の状態を調べることで、実際に環境に放出した際の複製パターンを一体どの程度まで予測できるのか。それらの生物の方が、自然選択による外来生物を自然にはあり得ないほど大量に放出する場合に比べて、生態系を破壊する危険性が高くはないか。

4.万一、放出した生物が予想外の様相を示し、環境をひどく破壊した場合、その生物を常に管理し、いつでも駆除できるか。もしも管理が徹底されない恐れがあれば、放出は正当と認められるか否か。

5.遺伝子操作生物の放出を管理する現行の法体系は妥当か。万一、妥当でないとしたら、どこをどう変更するのが適当かつ有効か。

6.遺伝子操作生物の放出のあらゆるケースに同一の規則/ガイドラインを適用すべきか。それとも放出の規模や放出先の環境、放出する生物の種類によって、それぞれの規則/ガイドラインを設けることは可能か。例えば農業用あるいは医療用といった、放出する生物の用途によって、法規および監督機関をそれぞれに設ける必要があるか。

7.現行のケース・バイ・ケースの調査方式では、放出許可を求める遺伝子操作生物の数が増えてくると、手に負えなくなるのではないか。現行の調査方式がうまく機能しなくなった場合、代わりにどのような方法で調査を行うべきか。

8.遺伝子操作生物の放出によって、得られるかも知れない恩恵と起こりうるリスクの両面を一般《public》に知らしめる必要があるが、どうすれば最も効果的にその目的が果たせるか。特定の放出について、公衆が簡単にアクセスできるようにしておくべきなのは、どのような情報か。

9.所有権と責任:放出した生物が引き起こしたダメージの代償は誰が負うべきか。


付録4 ウイルス

構造
1.ウイルスは宿主細胞に感染していない状態では不活性で、核酸(RNAもしくはDNA)とタンパク質およびその他の化学物質から成る。大きさは、小分子量の一本鎖RNAから成るウイロイドと呼ばれるものから、小型のバクテリアほどの大きさのものまである。ウイルス中の全塩基数は通常1万あるいはそれ以下で、ゲノム配列がすべて解明されたウイルスもある。

生物学
2.ウイルスはバクテリアから植物、動物、鳥、そしてヒトを含む哺乳類まで、生物界に広く存在する。この項では、ウイルスの遺伝的行動に関連した基本的な生物学について述べる。

複製
3.種々のRNAウイルスおよびDNAウイルスの複製の機序はさまざまではあるが、いかなる場合にも、まず、適当な宿主生物の細胞に寄生しなければならない。宿主細胞に近づくと、ウイルスは宿主細胞に付着し、細胞内へ侵入する。すると、ウイルスの酵素の働きによる場合が多いが、ウイルスのタンパク膜が取り除かれ、その結果、核酸が放出されて活性化される。ウイルスは宿主細胞の複製機構を利用して、自身のゲノムおよびタンパク質を大量に複製する。それらが集って、保護タンパク膜に覆われた核酸を含む粒子ができ、さまざまな機序によって、宿主生物の体内や環境中に拡散する。ウイルスは細胞中で、突然変異を起こしたり、選択を受けたり、進化したりする単独の遺伝子体として作用する。科学者の間でも、ウイルスの遺伝子のスイッチが入ったり切れたりする仕組みや、ウイルスの生成物が細胞内でどんな作用を示すのかについて、ようやく分かってきたところなのである。例えば、1つの遺伝子配列が、別のコドンの読み枠で読み取られることによって、2つあるいはそれ以上のタンパク質合成の指示に使われる場合もある、といったことなどである。ウイルスの遺伝子による生成物は構造物と非構造物とに分類され、核酸の複製機序がさまざまであるのと同様に、さまざまな方法によってさまざまな生成物ができる。

ウイルスの遺伝子変化
4.突然変異(ヌクレオチドの置換、欠失あるいは付加を含む)によって、ウイルスは遺伝子変化を起こす可能性がある。本付録の宿主特異性および遺伝子交換の項で述べるように、ウイルスも時折、他のウイルス、と言っても通常は近縁種のウイルスではあるが、それらのウイルスから遺伝物質を獲得して、再結合したり再集結したりすることがある。いくつかのウイルスは遺伝子の複製によって進化するという科学的証拠すらある。また、細胞中ではウイルスのRNAは、ほとんどのDNAウイルスや、染色体DNA《chromosomal DNA》を有するその他の生物のDNAで見られるような、突然変異的修復《mutational repair》を受けにくいという事実は興味深い。複製《copy》機序がこのようにいささか正確さに欠けていることは、RNAウイルスが突然変異を起こして急速に進化を遂げたりする理由の一つでもある。

遺伝物質の交換が起こる可能性
5.自然界では、ウイルスも、ある程度ではあるが、近縁種のウイルスとの間で遺伝物質の交換を行う可能性があるという科学的証拠がある。しかし、その場合には、それぞれのウイルスが同じ細胞に感染していなければならない。遺伝物質の交換が起こりうる頻度は、ウイルスの種類や、宿主となる生物の範囲、および伝染性の強さといったいくつかの因子に左右される。遺伝物質の交換が起こるには、互いのウイルスが良く似た遺伝子構造を持っていなければならず、また、遺伝物質の交換を起こしたそれぞれのウイルスが新たな別個の宿主生物を持つようになるか、あるいは異なる機能を示すようになるか、その両方あるいはいずれか一方が起こらなければ、その遺伝物質の交換が重要な意味を持つとは言えない。ウイルスが新たな遺伝物質を獲得するのを、多くの場合、ウイルスの複製機構が防いでいるが、ワクシニアのようないくつかの大きなウイルスでは、実験的条件下で少量の遺伝物質を獲得するケースもある。

6.実験的に、また自然界の特定の条件下で、異なった種類のウィルス間で遺伝物質の交換が起こる可能性が示されている。概して、ラブドウイルスやフラヴィウイルス、トガウイルスといった一本鎖のRNAウイルスは遺伝物質の交換を行わないが、ピコルナウイルスやコロナウイルスなど遺伝物質の交換を行うものもいくつかある。オルソミキソウイルスやレオウイルスおよびある種の植物ウイルスのように、セグメントに分かれたゲノムを持つ近縁種のRNAウイルス同士なら、より簡単に遺伝物質の交換が起こり得る。遺伝物質の交換は、それぞれのウイルスで同じ機能を示す遺伝暗号を指定する配列の間で起こる。DNAウイルスは、おそらく、トランスポゾンを使って他の遺伝的に互換性のある他のウイルスとも、また宿主生物のゲノムとも遺伝物質を交換し得る。組換えDNAウイルスから動物の宿主生物のゲノムへ遺伝物質が転移しても、生殖細胞が関与していない限り、個体群全体に影響を及ぼすことはないと考えられる。しかし、バクテリアの場合、すべての細胞が生殖細胞であって区別がないので、バクテリア内のウイルス性核酸はすべての後代細胞に受け継がれる。

宿主特異性
7.宿主生物の範囲は、ウイルスの外被タンパク質によって決まる部分が非常に大きい。大半のウイルスは、実験室レベルでも強い宿主特異性を示し、自然環境中では一層、宿主特異性が強いと思われる。しかし、たとえそうであっても、ウイルスの生活環には、しばしば特定の昆虫類や哺乳類など、はなはだしく異なる生物種が含まれる可能性がある。ウイルスの生活環には、2種類のベクターが存在する。ウイルスを機械的に転移させるベクターと、ウイルスに感染して複製に手を貸すベクターである。例えば、ヒト黄熱病ウイルスは、ある種の昆虫の体内で自己複製する。また、粘液腫症は、ある種の昆虫を宿主として、哺乳類のウイルス性疾患を受動的に広める。粘液腫症は南米のウサギに端を発しているが、南米では発症はしなかった。南米のウサギは進化によって、このウイルスに対する耐性を獲得していたことが、南米で発症がみられなかった理由の1つに挙げられる。ウサギ粘液腫症ウイルスはウサギ駆除対策としてイギリスとオーストラリアに持ち込まれたものだが、イギリスではノミを媒介にして、オーストラリアでは蚊を媒介にして感染が広まっている。

8.インフルエンザ・ウイルスは宿主の範囲を拡大することのできるウイルスの良い例である。鳥類、動物およびヒトでインフルエンザを発症させるインフルエンザA型ウイルスには、たくさんの種類がある。インフルエンザ・ウイルスは、セグメントに分かれたゲノムを持っている。それはすなわち、遺伝子再集合(遺伝子が入れ替わって再び結びつく)の可能性があることを意味している。しかし、他の個体群と密接に接触している個体群で流行したとしても、多くの種類のインフルエンザ・ウイルスでは、遺伝子再集合は起こらない。例えば、家禽類伝染性のインフルエンザが家禽類群の大半を死に至らしめても、家禽類を飼育しているヒトには何の影響も与えない。ところが、ヒトでインフルエンザが流行した後に、ヒト・インフルエンザ・ウイルスの表面抗原を持ったインフルエンザ・ウイルスがブタが感染するというケースにも見られるように、ある一つの動物種に寄生するはずのウイルスの遺伝子が、別のウイルスに転移する場合もある。

残留性と蔓延性
9.ウイルスの種類や蔓延の状況によって期間はさまざまだが、ウイルスは環境中に残留し得る。水中のウイルス生残試験の結果、概してウイルスは、温度が高いほど短時間で不活性化されること、そしてその理由は水中の植物相ならびに動物相、およびそれぞれの酵素生成が活性化されるためではないか、ということがわかった。水中の環境にとって日光は重要な要素であるが、水中のウイルスの不活性化にも重要な役割を果たしていると言える。雪や氷でウイルスが日光から遮断されると、ウイルスの平均余命は延びる。さらに、日光を遮断するという面からも、また微粒子が吸着箇所を提供するという面からも、水の混濁度もまた、ウイルスの生残を左右する重要な要素である。地下水中のウイルスの残留性については、まだ充分な研究がなされておらず、不明な部分が多い。

10.口蹄疫の蔓延に関する研究によって、ウイルスの蔓延性についての興味深い事実が明らかになった。口蹄疫ウイルスは、動物同士の接触やウイルスに汚染された飼料ならびに水の摂取、および飼育設備がウイルスに汚染されていたり、消毒が充分でないなどの、近距離間で広まるが、同時に長距離間の感染も起こしている。口蹄疫のウイルスが上昇気流に乗って大気中を運ばれたと仮定し、気流の温度や湿度、紫外線曝露といった要因を考慮に入れれば、ワイト島での口蹄疫の大発生はフランス、ノルマンディ地方での大発生と関連している。ある種の動物種においては、環境中に入ったウイルスに対するさまざまな曝露経路による感染性もまた、蔓延性を決める重要な要素となっている。

応用

予防接種
11.ウイルス感染の予防ならびに制御には、目下のところ予防接種が最も効果的かつ実用可能な方法である。ただし、実施には適切なワクチンと適切な接種計画が必要とされる。天然痘は、巧妙に調整をとって慎重に狙いを定めた世界的な予防接種計画によって完全に撲滅された。天然痘という病気自体がすでに存在しないのであるから、それに対する予防接種ももはや不要である。小児麻痺やはしかなども、ワクチンの入手できる地域では防除できるが、これらの疾病を引き起こすウイルスがまだ現存しているので、その地域の全住民のほぼすべてに予防接種を徹底して受けさせない限り予防はできない。予防接種は、ヒトのウイルス疾患の防除に有効なだけでなく、野生動物ならびに家畜動物にも利用できる。野生動物に対する一例として挙げられるのが、感染しやすい野生動物の個体群に対して活性を弱めたウイルスを混ぜた餌を置き、予防接種した動物と同じ防御免疫反応を誘発させて、狂犬病を防除しようという試みである。目下、遺伝子操作した狂犬病ワクチンの試験が進行中である。そのワクチンとは、狂犬病ウイルスの保護タンパク質を生成する遺伝子を、ワクシニア・ウイルスに挿入したもので、ワクシニア・ウイルスは実際の適用に際して、多くの望ましい特性を備えたワクチン・ベクターである(付録5、パラグラフ22)。

ウイルス性殺虫剤
12.熱帯地方ならびに温帯地方の国々では、害虫の防除にウイルス性殺虫剤が長年使われてきた。例えば、スコットランドではこの10年間、何百万本もの樹木に対して、ある種の樹木につく害虫に対してバキュロウイルスを散布してきたが、何らかの環境問題が生じたことも、害虫が耐性を獲得することもなかった。

レトロウイルス

構造
13.レトロウイルスは、中心部に一本鎖RNAゲノム2本があって、その周りをウイルス性タンパク質が囲み、さらにその外側を、宿主細胞の細胞膜に由来したウイルス性糖タンパク質の点在する外被で覆われた構造をしている。この構造からしても、さらにはまたレトロウイルスの複製には、何らかの細胞に入り込むことが必要だという事実からしても、レトロウイルスはその他のウイルスと非常に良く似ている。他のウイルスとの違いは、レトロウイルスの場合、細胞に寄生すると同時に、ウイルス自身の酵素一式と、自身のゲノムの二本鎖DNAの合成、ならびにこの合成されたDNAを宿主の染色体に組み込むように指示を出すよう設計されたRNAを宿主細胞に持ち込むという点にある。

複製
14.レトロウイルスは、細胞表面のタンパク質とウイルス外被のタンパク質を整合させることによって《through the meshing of》、適当な宿主細胞を認知し、付着する。外被膜に覆われたレトロウイルスが宿主細胞に入り込むと、外被が外れて核タンパク質複合体が生成され、その過程で逆転写酵素によってウイルス性RNA(ウイルス由来のRNA)からDNAが複製される。レトロウイルスのゲノムから複製されたDNAは、細胞核に移動し、そこで宿主細胞の染色体DNAに挿入される。そうすることでレトロウイルスは宿主細胞に依存してウイルス性RNAを複製し、ウイルス性タンパク質を生合成できるようになる。新たに複製されたレトロウイルス性RNAゲノムは、宿主細胞の細胞質に存在するウイルスの遺伝暗号により生成された物質によって周りを覆われ、細胞膜を通って細胞外へと出て行く。

遺伝学的性質
15.レトロウイルスは自身のウイルス性DNAを体細胞や生殖細胞の染色体に安定的に統合できるだけでなく、細胞の遺伝子を突然変異させたり捕獲したりすることもあるので、レトロウイルスの遺伝学的性質は非常に興味深い。1つの細胞に2つ以上のレトロウイルスが寄生した場合、さまざまな種類の遺伝子交換が起こり得る。例えば、1つのウイルスの核コアタンパク質やゲノムが別のウイルスから外被タンパク質を獲得するケースも起こり得るが、その場合、元のウイルスが寄生できる宿主細胞の種類も変わる可能性がある。ウイルス性のゲノムが挿入されると、宿主の遺伝子に混乱が生じるため機能しなくなったり、挿入サイトに近接した宿主の遺伝子をウイルス性のゲノムが刺激したりするので、宿主のゲノムの形質発現にも影響を与える。こうしたレトロウイルスによる宿主の遺伝子の活性化が、寄生した細胞のガンの発生に繋がる場合もある。

生理学的性質
16.レトロウイルスが初めて分離されたのは、今から約80年前のことで、知られている中では最も原始的な種類のウイルスであることがわかった。そもそもレトロウイルスが発見されたのは、ニワトリにガンを引き起こす濾過性の病原体としてであった。その後、調査したすべての脊椎動物から見つかっている。他のすべてのウイルス同様、自身のタンパク質外被で保護された不活性な粒子として、環境中に広まる。しかし、稀に生殖細胞系の細胞の染色体に挿入される場合もあるため、ある世代から次の世代へ、遺伝的に広まるケースもある。一方、レトロウイルスは宿主生物内で大量に生成されると考えられるが、感染性や病気を引き起こす恐れはないものと思われる。

遺伝子操作における重要性
17.レトロウイルスは逆転写のモデルとして、また、逆転写酵素の供給源として、多くの種類の遺伝子操作において、不可欠なツールである。

18.レトロウイルスはガンの分子レベルの研究において重要である。レトロウイルスの中には、多くの実験動物にガンを引き起こすものがある:ラウス肉腫ウイルスによって引き起こされるガンのように、急速に発達する腫瘍もあれば、マウスの乳房腫瘍ウイルスによって引き起こされるガンのように、長い潜伏期間を要し、おそらくは多段階のプロセスを踏む腫瘍もある。

19.レトロウイルスも、他の多くのウイルスがそうであるように、遺伝子調節および遺伝子発現の機序を解明するための優れた指標になり得る。また、例えば細胞壁がどのように交差しているか、あるいはウイルスやバクテリアが細胞をどのように認識しているかといった、細胞の構造とその機能との相互作用の解明にも役立つ。

20.将来的にはレトロウイルスが、遺伝子治療における遺伝子のデリバリィや疾病の治療に際して、強力なツールとなることが期待される。現在でもすでに、多くの生物学的分野の実験において、培養細胞や、時には実験動物に対して遺伝子を導入する際には、実験室で遺伝子操作されたレトロウイルス・ベクターに頼っている。しかし、遺伝子治療への利用を認める前に、レトロウイルスが一体どのように染色体に挿入されて遺伝子発現を制御しているのかということや、レトロウイルスの総合的な安全性など、まだ解明すべき点は多い。

参考資料
1. H Varmus (1988) Retroviruses, Science 240 (4858) 1427-1435, 1988.
2. M Goddard, M Butler (Editors) (1980) Viruses and Wastewater Treatment. Proceedings of the International Symposium on Viruses and Wastewater Treatment. University of Surrey, Guildford, 15-17 September 1980. Pergamon Press
3. Dr D A J Tyrrel. Evidence to the Royal Commission.
4. Professor R A Weiss. Evidence to the Royal Commission.


付録5

遺伝子操作生物の放出試験例

1.付録5には主にイギリスおよびアメリカ合衆国で行われた数例の遺伝子操作生物の放出試験に関する情報を示す。イギリスにおける2例の放出プログラム――NERCウイルス学研究所《the NERC Institute of Virology》とAFRC植物科学研究所(前・植物育種研究所)《the AFRC Institute of Plant Science Research, formerly the Plant Breeding Institute》による――については詳細に述べたが、その他の例については簡単に触れるにとどめた。放出試験は微生物、植物、動物の3つのカテゴリーに分けて考えられている。放出された遺伝子操作生物の量はまだわずかだが、報告されている環境への影響について、いくつかの暫定的結論を導き出すことができた。それらはパラグラフ37〜40にまとめてある。

微生物

遺伝子操作されたバキュロウイルス殺虫剤による野外試験(21)

野外試験の目的
2.本項では、ウイルス学研究所が即効性のウイルス性殺虫剤の開発と、環境中に遺伝子操作生物を放出するリスクの評価法を開発することを目的として実施した、一連の実地試験について述べる。

3.バキュロウイルスは生物学的害虫駆除剤《biological pest control agent》として、何十年にもわたって農林業に使用されており、安全性に関しても良好な報告が成されている。しかし、多くの生物学的害虫駆除剤と同様に、バキュロウイルスも、害虫を死滅させるに充分な量が体内で生成されるまでには、数回の複製サイクル《replication cycle》を経なければならないため、害虫を死滅させるのに数日を要する。本プログラムの最終的な目的は、バキュロウイルスの遺伝子を操作して、即効性の毒、例えばバクテリアやサソリが出す、昆虫に特異的に作用する毒素のようなものを生成する能力を与え、害虫をより迅速に死滅させることにある。

4.本プログラムの一環として、4つの野外試験が行われることになった。

(a) 遺伝子にマーキングしたバキュロウイルス、すなわちAutographa californica(AcNPV)の核多角体病ウイルスの放出。1986年実施。

(b) 遺伝子にマーキングし、不活性化したAcNPVの放出。不活性化の一手段として、ウイルスの保護タンパク質膜を除去したが、それによってウイルスは、環境、とりわけ紫外線による不活化をさらに受けやすくなった。1987年実施。

(c) 1988年には2つの放出試験が計画された。1つ目は再度不活性化したウイルスを放出する試験。2つ目はβ‐ガラクトシダーゼを生成するバクテリアの遺伝子を挿入した後、不活性化したウイルスを放出する試験である。この遺伝子が存在することによって、バクテリアはラクトースをエネルギー源として利用できる。不活性化したAcNPVにこの遺伝子を挿入する目的は、このウイルスに感染した蛾の幼虫の体内に分泌されるβ‐ガラクトシダーゼの量を測定し、不活性化がウイルスのタンパク質分泌能に影響を及ぼさないことを確かめるためであった。

5.最初の2つの放出試験の結果はすでに公表されているので、本項では、その2つに絞って話を進める。

試験に用いたバキュロウイルスの生物学およびその遺伝子操作
6.バキュロウイルスは、鱗翅類(蝶や蛾)や膜翅類(スズメバチ、ミツバチ、蟻)などの特定の昆虫種に寄生する。バキュロウイルスのDNAのゲノムは、10万〜15万個の塩基対を有しており、一種あるいはそれ以上のタンパク質膜に覆われた棒状の構造をしている。AcNPVでは、こうしたタンパク質膜に覆われたウイルスのいくつかが、やはりタンパク質から成る多角封入体の内部に入り込んでいる。

7.本試験では、small mottled willow(Spodoptera exigua)というある種の蛾の幼虫を試験ウイルスの標的とした。その幼虫が試験ウイルスを食物と一緒に摂取すると、多角封入体が幼虫の消化管内で消化され、被膜に覆われたウイルスが放出される。放出されたウイルスは被膜を破り、消化管内面の細胞内で自己複製する。そうしてウイルスの寄生が進み、最終的に幼虫を死滅させる。

8.腐敗する幼虫の死骸から風や雨滴によって、また、当該の幼虫を餌にしている動物や鳥の糞中に排出されて、ウイルスは受動的に環境に広まると考えられている。ウイルスはさまざまなタンパク質膜で覆われているため、環境中に生残し、初年度の秋を越し、幼虫の活動が再び活発になる次年度の春まで生き長らえることができる。また、土壌中にも生残し、植物の発芽に伴って地表へと運ばれることもある。

9.バキュロウイルスの中には、宿主種から遺伝物質を獲得するものもあるが、そうしたケースは非常に稀だと考えられる。いずれにしても遺伝物質の交換が起こるのは、同属のバキュロウイルス同士が細胞に相互寄生している間である場合が多い。

10.最初の放出試験では、実験室で合成された80塩基対の長さのDNAマーカー断片を、親ウイルスAcNPVの多角封入体タンパク質の遺伝コードを指定する遺伝子のすぐ下方に付加した。このマーカー配列は、ウイルスあるいはその複製中の他の遺伝子の形質発現に影響を与えかねない、いかなる塩基配列も含むことの無いよう、特別に設計されたものである。ニつ目の放出試験では、多角封入体およびそのプロモーターの遺伝コードを指定する遺伝子をAcNPVから除去し、代わりに同じ長さの別のDNAマーカー配列を挿入した。この場合も同様に、挿入したシーケンスには、ウイルスの遺伝子あるいはその複製の形質発現に影響を与えかねない、いかなる遺伝物質も含まれていない。

放出前の予備試験
11.次の3つの具体的な試験を行なった。

実地試験現場
12.2つの野外試験はどちらもオックスフォードシャー、ワイダムにあるオックスフォード大学野外試験場《the Oxford University Field Station》の野外耕地内の同一箇所で行なわれた。放出前には、その箇所の植物相ならびに動物相、特に蝶類、蛾類の個体群を入念に調べた。野外試験は、外部の昆虫類、鳥類、小型哺乳類(モグラ、ウサギなど)および大型哺乳類(シカなど)からの影響を受けない閉鎖系試験現場で実施した(図版10c参照)。最初の野外試験の最中に、その閉鎖系試験現場で数匹の甲虫とクモが見つかったが、恐らく土壌中に眠っていた卵から孵化したものと思われ、それらは除去した。なお、実験に用いた種(S. exigua)の蛾の幼虫の餌として、キャベツと甜菜を与えた。

13.実験に用いた種の蛾(S. exigua)の幼虫には、放出の前夜、実験室で、遺伝子操作したウイルスを摂取させた。その後、ウイルスに感染した幼虫を放つことによって、ウイルスは野外試験箇所に導入された。各野外試験とも約200匹の幼虫が用いられた。

最初の放出試験の結果
14.遺伝子操作によりマーカー配列を導入したウイルスに感染したS. exiguaの幼虫は、閉鎖系試験現場に導入して一週間後にはすべて死滅した。土壌、キャベツおよび甜菜、ハコベ(実験期間中に閉鎖系試験現場に生えてきたもの。おそらく土壌中に潜んでいたか、風によって運ばれてきた種から発芽したものと思われる)に遺伝子操作されたAcNPVが含まれているかどうか分析した。その結果、ウイルスは、閉鎖系試験現場内のハコベを含むすべての植物中に検出されたが、放出試験を実施した全期間中に閉鎖系試験現場の外部に生育していた植物から採取した枝葉からは検出されなかった。またウイルスは6ヵ月の試験期間中、常に土壌中に検出された。ウイルスを遺伝子操作したマーカー配列は、試料採取期間中最初から最後まで変化することなく回収された。閉鎖系試験現場の感染群とは物理的に隔離しておいた、ウイルスに感染していないS. exiguaの幼虫を用いた対照群では、ウイルスは検出されなかった。図版10aと10bを比較すると、ウイルスに感染していない幼虫が食い荒らしたキャベツに比べて、ウイルスに感染した幼虫群に与えたキャベツはダメージが少なかったことがわかる。

二つ目の放出試験の結果
15.遺伝子操作して不活性化したマーカー導入ウイルスに感染したS. exiguaの幼虫は、最初の放出試験と同様に、閉鎖系試験現場に導入した一週間後にすべて死滅した。さらにその一週間後、閉鎖系試験現場内の植物の枝葉や土壌、あるいはウイルスに感染した幼虫の死骸のいずれからも、弱体化したウイルスは検出されなかった。

現場の汚染除去
16.どの試験も終了にあたって、5%ホルマリン溶液を3度撒布して試験現場の汚染除去を行った。汚染除去が確実に行われたかどうかは、当該ウイルスに感受性をもつ幼虫に、試験現場から採取した土壌内で生育した植物の芽を食べさせて確認した。

広報活動
17.本放出試験の実施にあたり、MAFF、DOE、NCC、ACGMを始めとする関連のすべての政府当局との間で広範にわたる協議を繰り返し、更なる実験データを提出するなどして、それらのすべての組織から許可を得た。現地の関係者としては実験現場(オックスフォード大学)の所有者、オックスフォード大学の上級職員、オックスフォード大学安全管理者、オックスフォードHSE工場視察官、the Vale of White Horse環境衛生官にもすべて、放出試験の実施を通知した。また、全国紙および地方紙にプレス・リリースを掲載、ラジオおよびテレビのインタビューを受け、1つの環境団体に告知した。

‘氷核活性遺伝子除去’細菌
18.植物の霜害機序について研究を行っているカリフォルニア大学の植物病理学者グループが、氷核活性タンパク質を合成する遺伝子を除去するという遺伝子操作を行なったバクテリアPseudomonas syringaeでジャガイモを処理することを提案した。バクテリアがこのタンパク質を生成すると、植物上での氷の形成を促し、霜害を引き起こす。遺伝子操作された氷核活性遺伝子除去細菌は、植物上の活性部位において氷核活性細菌と競合することによって、霜害のリスクが軽減されるように意図したものである。このバクテリアに関する野外試験が1984年に企画され、1986年5月にその許可が下りた。現地での広範にわたる協議を行ったのち、1987年4月より北カリフォルニア大学の実地試験場にある0.5エーカーの試験現場において野外試験が行なわれた。本試験現場は1987年5月に破壊した。氷核活性遺伝子除去細菌によるジャガイモの霜害予防効果を調べたほか、環境中での本バクテリアの移動性および残留性も評価した。また、EPAでも同時に狭い実地試験現場に放出された、遺伝子操作された微生物の大気分散について、EPAが策定した試料採取法および研究手法を評価する実験を行った。試験現場の周囲の休閑緩衝地帯では、多少の氷核活性遺伝子除去細菌が検出されたが、近隣の植物帯あるいは表層水からは検出されなかった。本バクテリアは試験現場の土壌に、噴霧後、約1週間残留した。本実地試験により、実験室および温室で行った封じ込め実験の結果が裏付けられた。

19.Advanced Genetics Sciences Inc.(AGS)では、イチゴに氷核活性遺伝子除去細菌を噴霧する実地試験を1987年にカリフォルニアにおいて行なっている。

遺伝子にマーカーを導入した土壌バクテリア
20.本放出試験は、遺伝子操作されたバクテリアの環境中での動向を追跡するための、特定のマーカーの有効性を調べるために実施された。大腸菌(lacZY)の遺伝子をマーカーとしてPseudomonas aureofaciensに組み込んだ。米国の法規制当局の認可を得て、遺伝子操作された本バクテリアを1987年11月に、サウスカロライナ州にあるクレムソン大学実験研究場内(the Clemson University Experimental Research Station)の、小麦が植えられた1エーカーの野外試験現場に放出した。18カ月の試験期間中、試験現場および現場周辺の環境の広範なモニタリングを行った。中間結果によれば、遺伝子操作された当該バクテリアの動向を実地試験場内で追跡するマーカーとして、lacZYは有効であることがわかった。遺伝子操作されたPseudomonas属のバクテリアは、試験現場内の小麦から18センチ以上離れた箇所には移動しなかった。休閑緩衝地帯あるいは現場付近の表層水中では、マーキングされたバクテリアは検出されなかった。マーキングされたバクテリアの動向は栽培室での実験結果(142)とも、よく一致した。

遺伝子にマーキングした窒素固定バクテリア
21.Rothamsted Experimental Stationによれば、本実験の目的は、窒素固定バクテリアRhizobiumに、特に成長期の間、遺伝物質を交換して土壌中に生残する能力があるか否かを調べることであった。1987年、UK ACGMに諮った後、遺伝子操作されたバクテリアRhizobium leguminosarumを、ハートフォードシャーにある野外試験現場内の植物に植え付けた。本バクテリアは、伝達性プラスミドのTn5トランスポゾン上に存在して抗生物質のネオマイシンやカナマイシンに対する抵抗力を与える遺伝子と、染色体中にあって抗生物質のリファンピシンやストレプトマイシンに対する抵抗力を与える遺伝子とを有している。実験の結果、遺伝子操作されたバクテリアは、そのバクテリアを植え付けた植物にあまり多くの結節を作らず、また、トランスポゾンが別のバクテリアに転移したという証拠は得られなかった。しかし、試験現場に存在するRhizobiumの量が少なかったために、遺伝子転移が検出されなかった可能性もある。Cicer arietinum《シサー・アリティナム;ヒヨコマメ》に植え付けたRhizobium‘シサー’バクテリアを用いた標準区での実験からは、Rhizobiumが土壌中を移動する範囲は、成長期でおそらく45〜60cm以内に限られることが示された。1988年には、遺伝子操作されたRhizobiumが成長期から次の成長期まで生残し、さまざまなマメ科の植物に結節を作り得るか否かを調べる実験が計画された。本実験は現在、ECのBAPの一環として、独・仏の研究者と共同で進められている(143, 144)。

組換え型ワクシニア‐狂犬病ワクチン
22.ヨーロッパに限らず世界各地で、ある種の野生動物、特にキツネなどが、ヒトや多くの家畜を死に至らしめる狂犬病ウイルスの病原体保有宿主となっている。各国では、これまで長年、野生動物群に予防接種を行い、狂犬病を抑制しようと試みてきた。狂犬病抑制を目的とする遺伝子操作されたワクチン開発の初期段階に当たる野外試験が、狂犬病に対する免疫反応を促すよう操作されたワクシニア・ワクチンを用いて、最近、ベルギーで行われた。本野外試験を始める前に、遺伝子操作された当該のワクチンについて、家畜、実験動物および野生動物に対する安全性を調べた。ワクチンを添加したニワトリの頭250個を餌として、1平方キロあたり40〜50個の見当で、ベルギーの人里離れた軍用基地にある2.5ヘクタールの試験現場に手作業でばら撒いた。餌をばら撒いてから15日後、餌の約64%が野生動物により摂食された。餌をばら撒いてから3ヶ月後に試験現場で野生動物を捕らえたが、ワクシニア感染が伝染した徴候は見られなかった。試験現場で屠殺した3頭のイノシシからは、抗狂犬病性を失効させる抗体は見つからなかったが、3ヶ月の試験期間中、試験現場でキツネは捕獲できなかった。試験規模が小さいと、本ワクチンが野生生物や家畜にリスクを与えないらしいとは言えても、確かな結論を導き出すのは難しい。そのため、さらに大規模な試験が1988年秋から始まることになった。本ワクチンの放出は、世界保健機構が策定した規定に従って管理された(71)。

植物

遺伝子にマーカーを導入したジャガイモの苗木の放出(138)

実地試験の目的
23.遺伝子にマーキングしたジャガイモを用いた野外試験が、遺伝子改変ジャガイモの開発と放出を支持するプログラムの一環として、イギリス、ケンブリッジにある植物科学研究所で行なわれた。その目的は、ジャガイモ塊茎中のpatatin遺伝子の働きを調べ、その形質発現がどのように調整されているのかを知ることが本野外試験の目的であった。本プログラムでは以下の事項について調査する予定。
− 病害やある種の環境ストレスから身を守る形質に相当する遺伝子の、ジャガイモへの導入
− 野外試験にあたって、遺伝子操作されたジャガイモの放出を安全に実行するための適正なプロトコールの開発ならびに試験
− 野外試験場内で遺伝子操作された植物を生育するのに用いたさまざまな植物栽培法の良し悪し

本野外試験に関連の生物学および遺伝子操作
24.本野外試験では、イギリスにおいて農作物としての性質がよく知られている一般的な品種のジャガイモを試験植物として用いた。

25.マーカー遺伝子ネオマイシン・ホスホトランスフェラーゼII(NPTII)はバクテリアに由来し、カナマイシンやネオマイシンといった、やはりバクテリアに由来する抗生物質に対する抵抗力を与える。patatin遺伝子の調節機構を調べるために、patatinプロモーターを大腸菌Escherichia coli の遺伝子配列に連結したβ−グルクロニダーゼ(GUS)に相当する遺伝子の構成物が開発された。patatinプロモーターによる形質発現の度合いに相関するβ−グルクロニダーゼ(GUS)の存在量を検出するための簡単な生物学的検定法が存在する。

26.GUSもNPTIIもどちらも土壌の微小植物相および哺乳類の消化器官に広く存在している。しかしながら、GUS酵素は植物中には検出されず、植物中では他のグルクロニダーゼ群の酵素が、複合糖類の分解を促進している。

27.カナマイシン抵抗性マーカー遺伝子およびβ−グルクロニダーゼ酵素産生遺伝子を、Agrobacterium tumefaciens癌腫誘発プラスミドをベクターとしてジャガイモの塊茎組織細胞に導入した。この手法については、本報告書のパラグラフ3.16に簡単にまとめた。この手法により導入された遺伝子は、普通、ゲノム内の1つのサイトに結合する。これらの遺伝子操作された細胞から完全な植物体に成長して、カナマイシン耐性を持った遺伝子組換えジャガイモの植物体ができ、またpatatinプロモーター遺伝子によって制御された形でβ−グルクロニダーゼを放出する。

放出前の予備試験
28.β−グルクロニダーゼの濃度と安定性は、実験室レベルで数成長世代にわたって測定した。

野外試験現場と方法
29.野外試験は、ケンブリッジにある植物科学研究所の野外試験現場内で、最も近いジャガイモ栽培場からでも約1キロ離れた、30メートル×50メートルの土地で行なわれた。試験期間は2年間を予定した。初年度には約2,200本のジャガイモの苗木を植えた。その大部分は遺伝子組換え体であった(図版9a)。それらの苗木のGUS活性や生育の様子、ならびに罹病性が増すか否かについてモニターした。苗木は、葉が適度に生い茂るまで育てて、手で引き抜いた。

30.野外試験開始前に行ったACGMとの討議の中で、ジャガイモに、例えばミツバチなどによって自然交配受粉が起こり、余計な遺伝物質まで撒き散らしてしまう恐れがあるのではないか、という点について多少の懸念が示された。隣接していないジャガイモの苗木間での自然交配受粉が起こることも、また自然交配受粉によって生成した種が生残することもめったにないが、それでもさらに、このような事態が起こるリスクを無くすために、実地試験期間中、トランスジェニック・ジャガイモの苗木はすべて手作業で花をもぎ取り、実を摘んだ(図版9b)。

31.野外試験2年目には、初年度に用いたトランスジェニック苗木からできた塊茎を育てて、導入した遺伝物質の遺伝的安定性を調べ、また、無性的に生成された後代植物にもその遺伝物質が受け継がれるかどうかを調べた。

現場の汚染除去
32.以下のような処置を取った。
− 実験終了後、ジャガイモの苗木はすべて刈り取って破棄した(図版9c)。除草剤グリホサートを撒布して、試験現場の汚染除去を行った。この手法で、土壌に残った塊茎からの苗木の生育を阻止できなければ、全試験現場を臭化メチルで燻蒸消毒し、さらに汚染除去を行うこともできた。
−地中に残存していて生育し始めた塊茎をすべて確実に除去するために、試験現場は実験終了後、少なくとも翌年1年間、追跡調査した。

野外試験の結果
33.植物科学研究所が、1989年後半に発行の予定で報告書を準備中。

広報活動
34.植物科学研究所の科学者たちは、ACGMから本実地試験の許可を得るほか、地元の遺伝子操作安全性委員会、the Cambridge City Environmental Health Office(ケンブリッジ都市環境保健省)やthe South Cambridge District Environmental Services Committee(南ケンブリッジ地区環境行政委員会)に意見を求めた。放出を行った際にプレス・リリースを発行し、ケンブリッジ・イヴニング・ニュース紙に記事を掲載した。

その他のトランスジェニック植物の野外試験
35.このほか、遺伝子操作された植物の野外試験には、他にも下記のような例がある。
− 1986年、米国のAgracetus Corporationが、遺伝子操作により根頭癌腫病(クラウンゴール病)に対する耐性を与えたタバコの苗木200本を用いた野外試験を実施する許可を得た。放出現場はウィスコンシン州にある20分の1エーカーの土地であった(8)。
− 1986年、Rohm and Haasが、遺伝子操作によりバクテリアBacillus thuringiensisの遺伝子の1つを組み込んだタバコの苗木を用いた野外試験を、フロリダ州とミシシッピ州で行う許可を得た。このバクテリアは、葉を食べる、ある種の幼虫を殺す毒素を産生する。タバコにこの毒素を産生させ、その幼虫による被害を免れるのが、この遺伝子操作の目的である(8)。
− 広く使われている除草剤グリホサートの製造元であるモンサント社が、この除草剤に対する耐性を与える遺伝子を発見した。同社は許可を得て、1987年夏に米国で、遺伝子操作によりグリホサート耐性遺伝子を(バクテリアAgrobacterium tumefaciensの腫瘍誘発プラスミドによって)組み込んだ、タバコ、トマトおよびペチュニアの苗木を放出する野外試験を行った(8)。

動物

36.最近では、さまざまなトランスジェニック動物が生成されている。ジープ(ヒツジとヤギのキメラ交雑種)(145)、凝血を促進させるヒト・タンパク質を含む乳を出すヒツジ(109)、乳がんに特別罹りやすいマウス(147)などもその一例である。しかしながら、本報告書(パラグラフ2.17)に記された放出の定義からすれば、これらの動物たちの放出はまだ行われていない。

遺伝子操作生物の放出に共通するいくつかの側面に関する考察

37.微生物や植物の放出を含む野外試験についての考察は、便宜上、次の3つの分野に分類できる。
− 放出前予備試験および野外試験の管理
− 実験結果
− 野外試験に対する一般の反応

放出前予備試験および野外試験の管理
38.以下のケースについて、我々は充分な情報を得ている。
− 野外試験の実施前には、GEO《遺伝子操作生物》が遺伝的に安定で、宿主特異性を持ち、その環境における残留性と動向が合理的に充分理解されていることを確かめるために、詳細なテストを行った。いくつかのケースでは、放出者と放出を許可する当局との間で行われた討議により、当初の放出案を変更し、さらなる放出前予備試験を追加した。
− 野外試験現場は、他の作物や家畜、表層水、およびヒトが住む地域から離れた場所を慎重に選出した。試験現場は通常、一区画の休閑地を囲い、いくつかの実験では、GEOまたは導入した外来の遺伝物質に対して、環境中のサンプルについての詳しい分析が行なわれた。
− 野外試験終了後、試験現場の汚染を除去した。充分に汚染が除去されたことを確認するために、通常、その後も引き続き、試験現場のモニタリングが行なわれた。

実験結果
39.実験結果を評価するに足る詳細なデータが得られた。導きうる結論は以下の通り。
− GEOは、環境中に元々あった生物および、操作した遺伝子の行動や動向から予想のつかない、いかなる性質も示さなかったようであった。
− どの実験からも、GEOを用いた実験室や温室での封じ込め試験で得られた以外の結果は得られなかったようであった。もっとも、このことは単に、放出したGEOの大半が、元の生物とほとんど変わらないという事実を反映しているに過ぎない。
− 微生物が環境中で特に移動しやすいということはないようで、また、エアゾールに添加したとしても、実地試験現場の外まで広がったケースは確認できなかった。

40.1回の成長期を超えてそれ以上の期間続けられた実験はほとんどなかったので、長期試験では上述した考察が得られない可能性もある。同様に、GEOの残留性についても、2つ目のNERCウイルス学研究所が行なった放出試験のケースのように、迅速に分解するよう意図的に遺伝子操作した場合(パラグラフ15)を除いて、多くを語ることはできない。GEOの環境中における動向《運命;fate》や残留性をモニターするよう策定された長期実地試験の結果が待たれる。

遺伝子操作生物の放出に対する一般の人々の反応
41.遺伝子操作生物の放出に対する一般の人々の反応は非常にさまざまである。米国での関心は放出者が何を行っているかを説明しようとしているか否かに関係なく、遺伝子操作された微生物の放出にまつわる事柄におおむね集中している。概して遺伝子組換え植物の放出に対する反対の動きは、少ないか、もしくはほとんどない。英国では、地元当局や一般が放出についての情報に常に触れられるように、ACGMが放出者に働きかけており、一般からの意見はほとんど、あるいはまったく寄せられていない。

訳注

the Vale of White Horse
http://www.britainexpress.com/Where_to_go_in_Britain/Destination_Library/vale-of-the-white-horse.htm

the Vale of White Horse District Council
http://www.whitehorsedc.gov.uk/

氷核活性細菌
http://www.bio.kansai-u.ac.jp/Microbial/hyoukaku.html
氷核形成タンパク質遺伝子、氷結活性遺伝子
http://www.kansai-u.ac.jp/ordist/soran/03_seimei/hasegawa.html
http://www.kansai-u.ac.jp/ordist/soran/03_seimei/obata.html

Agrobacterium tumefaciens
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3863/byou1.html

Nature Conservancy Council
英国政府の環境保護機関。1991年English Natureなどに分割された。

Glyphosate(グリホサート)
http://www.soc.nii.ac.jp/pssj2/tec_info/glyphosa.pdf
http://www.nikkei-bookdirect.com/science/beyond-discovery/transgenics/09.htm


付録6

GENHAZ調査委員会

 本試験の期間中、
遺伝子操作生物の放出に関して、HAZOPというリスク確認手法の適用の可否を検討する調査委員会が設置された(パラグラフ6.17)。ここに同委員会の委員のお名前を列挙し、The Royal Commissionの謝意を表する。

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