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序文

 科学技術政策委員会は、この10年間、バイオテクノロジーの適用に関連する安全性の問題の検討を続けており、1983年にはバイオテクノロジーの安全性に関する加盟国専門家部会(GNE)を設置した。GNEの主要な活動としてバイオテクノロジーの安全性を取り上げ、産業、農業および環境における組換えDNA生物の安全上の留意点をOECD理事会が勧告した[C(86)82(最終)]。この理事会の議定書は、特に組換えDNA生物を応用した結果の予測、評価および監視を改善するため一層の研究をうながした。同年に発表された組換えDNAの安全上の留意点(OECD、1986年)には、産業、農業および環境において遺伝子修飾をした生物を利用する場合の一般的な安全上のガイドラインも含まれていた。

 1988年にはGNEにより、新しい作業プログラムが設けられた。1990年、GNEは、『バイオテクノロジーを用いて製造される、新しい食品または食品成分の安全性評価のための科学的原理の解説を中心とする食品の安全性に関する作業の優先度が高く、できるだけ早期にその検討を開始すべきである』との考えで合意に達した。したがって、モダンバイオテクノロジーに関連する食品の安全性について作業部会が設置され、その部会長には米国のフランク・ヤング博士が選出された。

 作業部会に参加した専門家の労作である新しい食品および食品成分の安全性評価に際して考慮すべき科学的原理については、この報告のII章に記載されている。

 専門家は、この作業の基盤となる多くのコンセプト、取り上げる必要のある諸問題およびGNEの表明した必要性に答えるためのアプローチあるいはプロセスを明確にした。作業部会(Annex I参照)の委託条件は、GNEが支持した。委託条件に定められた作業の範囲と目標の要点について述べておくべきであろう:

作業部会は、食品添加物、汚染物質、加工助剤、および包装材料の安全性評価については取り上げない。
作業部会は、新しい食品または食品成分の環境上の安全性に関連する問題は取り上げない。なぜなら、これらの問題はOECDの他の文書やGNEの他の作業部会がすでに取り上げているからである。
原理の解説にあたっては、最初に、土壌中の微生物、植物または動物由来の新しい食品または食品成分の安全な使用法に重点をおくべきである。(水性生物については、この部会の将来の作業で取り上げる。)

 本文書の作成にあたっては、食品の安全性とバイオテクノロジーのテーマに関する数回の会議ならびに多くの政府間会議を通じて集積された材料を用いている。そのほかに食品や食品供給源として用いられる生物のさまざまな形質、化学組成および特性に関する諸問題を取り上げた多くの科学会議も関係している。作業部会の討論の背景として使用するため、加盟国のガイドラインと意思決定のデシジョンツリーが作成された。これは、Annex IIとして含まれている。

 作業部会の委託条件は、新しい食品はまた食品成分のモデルまたは例を決定し、併せてその安全性評価に関連する既存情報を集め、科学的原理と関連方法論が応用できることを開発し、および/あるいは立証する助けとすると謳っている。作業部会は、そうした新しい食品あるいは食品成分を多数選び、その例を集めた。この報告の第III章に掲載したケーススタディは、第II章に述べたコンセプトと原理がいかに適用されるかを説明したものである。しかし、これらの例は、作業部会、GNE、OECD、あるいはOECD加盟国による実際の評価あるいは安全性判定と解することはできない。

 本文書は、新しい食品または食品成分の安全性評価に携わる人々に利用してもらうことを目的としている。この文書は、安全に使用されてきた歴史を持つ伝統的食品との比較を基本として、モダンバイオテクノロジーに由来する新しい、つまり修飾食品または食品成分の安全性評価のための科学的アプローチについて詳しく述べる。このアプローチは、実質的同等のコンセプトに基づくものである。作業部会は、このアプローチが他の技術による新しい食品および食品成分にも利用できる方法であると信じている。これは直観的であるが、過去において新しい食品を受け入れるにあたって用いた手順を明確にしたものである。

 作業部会は、実質的同等こそ現時点で食品の安全性の問題に対処する最も実際的な方法であると考えた。しかし、これは本文書が、環境上の安全性など、バイオテクノロジーの安全性の他の側面に適用できることを意味するものではない。この種の問題は、他のOECD文書が取り上げることになっている。

I. 背景

 近年、食品バイオテクノロジーは、工業プロセス技術や制御システムの改良、食用作物の栽培および収穫に関する営農システムの改良、食料供給に用いられる生物の遺伝学的改良、食品の安全性と栄養上の品質を監視するための手法の改良など、目覚しい進歩を遂げた。したがって、バイオテクノロジーの進歩は、食料供給に今後ますます重要な役割を果たすものと予想される。

微生物

 伝統的な食品バイオテクノロジーの例としては、醸造業や製パン業における酵母の使用、ならびに乳業でチーズやヨーグルトの製造に用いられる細菌やカビならびにその成分の使用などがあげられる。カビや細菌は、植物あるいは植物製品の発酵にも用いられる(例えば、味噌)。微生物由来の精製酵素は、高果糖コーンシラップやある種の加水分解つまり予備消化タンパク質製品などの製品の製造にも広く用いられている。

 この種の製品の多くは、微生物が製造プロセスで機能するものの、その加工食品には生きた細胞は含まれていない。他方、ヨーグルトなどの食品では、培養微生物は生きており、そのまま摂取される。こうした伝統的な用途は、安全に使用されてきた長い歴史があり、国レベルおよび国際レベルのさまざまな食品安全性評価によって公式に安全性が認められている。この場合重要な留意点は、当該生物とその製品に病原性と毒性が認められないことである。

 モダンバイオテクノロジーは、必須成分や生産物の増産、ならびに発酵食品の栄養価、風味、テクスチャーおよび貯蔵寿命の改善に用いられ、食品微生物の改善にますます利用される機会が増えてきている。

植物

 植物は、その全体を直接摂取するほか、さまざまな食品に加工される。多くの植物が食品としての長い使用の歴史をもっている。当然ながら、選抜された植物は、見た目に健康で、成長が早く、収量の多いものであったことは疑いない。可食部分は望ましい味と香りと外観を持っていた。正式に認められたものではなかったが、選抜にあたっては、安全性の評価が行われたのであろう。いずれのケースでも食用植物の安全性確保のためのプロセスに関する過去の記録や資料はほとんどなく、国の食品取締局もほとんど関与していない。モダンバイオテクノロジーによって植物に導入できる新しい形質の種類が大幅に増えた今日、植物バイオテクノロジーが食品の安全性に与える影響が注目されている。

 初期の農民は、果実が大きいあるいは種子の休眠特性および登熟期間が均一であることなど、望ましい食品あるいは農耕上有利な特性を持つ植物の品種を選抜し、蓄えた。このような特性は、野生の植物には異常なことであり、初期の品質改良家の努力がなければ、開発されなかっただろう。初期の農民の実践が、ついには特性の均一な食品を生む農耕学的観点から再生産の予想ができる特性を持った、望ましいクローン、栽培品種、各種の主要な食料関連の作物の開発につながった。個々の作物の農耕学的特質が均一になるにしたがって、生産方法を最大の収量をあげるように設計できるようになった。

 比較的最近になって農業用作物の改良のための方向づけ植物育種法が登場し、植物育種は、例えば害虫や病害への抵抗を高めることにより、(i) 収量の向上、(ii) 品質の改良、(iii) 生産コストの削減を目的とするようになった。

 重要な目的のひとつではなかったかもしれないが、植物育種家は食用として開発された植物の栄養的な品質をよく守ってきた。彼らは、日課として望ましい性質を持った植物を選抜し、望ましくない植物は育種プロットで廃棄することによって排除している。

 作物を摂取する人の選好が、最終的に開発される植物品種の食品としての性格を決めることになった。例えば、バレイショやマメの品種は南米各地でかなり異なっているが、これはその土地その土地に住む人々の味に対する選好が品種の選抜に影響を与えたためである。もう一つ例をあげると、コムギは特定のパン・焼き菓子製品のために開発されることが多いため、品種開発プロセスでその粉の粉引き特性や焼き特性がチェックされている。

 ある種の作物では、育種家が意図的に栄養価の改良を試みている。例えば、高リジン・トウモロコシや高ビタミンCトマトの場合、他の要因がその品種の普及を阻害することがしばしば起こっている。味に優れ、栄養価の高い品種も、同時に収量が高くなければ、商業作物としては成功しない。加工の難しさ、虫害や病害に対する弱さ、好ましくない風味や色、あるいは単純にその植物の出荷の難しさなども、新しい品種の採用を難しくする。

 高栄養品種が一般消費者に受け入れられるか否かを決めるのは栄養価だけではない。鮮やかなオレンジ色のニンジンおよびサツマイモ品種は、そうでないものに比べてヒトに受け入れられやすい。またこれらの品種は、ビタミンA前駆体をヒトの食餌に供給する色素を多く含んでいる。トマトのアスコルビン酸(ビタミンC)の含量は幅広く研究されており、同ビタミンを多く含む品種が開発されている。しかしこれらのトマトの果実は赤色よりもイエローオレンジに近いため、消費者には受け入れられなかった。
 果物や野菜作物の栄養価には大きな幅があり、これを正確に評価することは難しい。とりわけ果物と野菜の場合、登熟プロセスにおいて、可食部分が生化学的に急速に変化するため、その組成は過渡的である。例えば赤トマトの場合、アスコルビン酸含量は青い段階では低く、登熟とともに急速に増加し、その後時間とともに失われていく。また同じ熟したトマトでも、それがつるのどの位置にあったかによって、アスコルビン酸含量は異なる。光のあたる量が多いほどアスコルビン酸含量が増加するからである。さらに、露地トマトの方が温室栽培トマトよりもビタミンC含量は多い。これらの要素を考慮すると、修飾トマトのアスコルビン酸など、遺伝的手法によって導入された、ある栄養素のレベルの変化の有意性は、評価が難しく、食餌全体に占めるその食品の位置によっても左右されるだろう。

 他の種にとって有毒な化合物を産出する植物が多く知られている。ある種の菌類や観賞植物など急性の毒性をもつ有毒植物は当然ながら食されない。ヒトが摂取する植物の中にも生の状態のときには、急性の毒性を持つものが多いが、加工することによって毒性が変化ないしは除去されるために食品として受け入れられている。例えば、キャッサバの根にはかなり強い毒性があるが、適切な加工によって毒性が栄養素に変化し、食品として広く摂取されている。ダイズやアオイマメも適切な加工を必要とする。このように、単にある植物品種に毒性が存在するという事実をもって食用に適さないということはできない。

 バレイショやトマトなど人に影響のある毒素を含むその他の植物においては、植物育種家が食用品種の毒素レベルを引き下げることに成功している。過去、植物育種の際に誤って毒素が増えたという例はほとんどない。毒素が増加した品種はただちに農業用途から排除されている。一部の諸国では、新しい品種の当該毒素のレベルを監視しているが、組織的な食品安全性の評価は一般には行われていない。植物バイオテクノロジーが食品の安全性に与える影響は、今や広い注目を浴びつつある。同時に、植物育種家の過去の記録が適切であることに一般の認識が高まっている。

 毒素レベルは、特に虫害や病害への抵抗力をあたえるための形質導入が行われた場合に、別の生物への抵抗をおこす化合物が人体に影響を与える可能性があるため、重要となろう。抵抗性のメカニズムの分子レベルでの根拠については、植物科学者たちが今ようやく理解し始めたところであり、今後、抵抗性を高めるためにバイオテクノロジーの手法が取り入れられるものとみられる。一般的になっているメカニズムもあれば、特定の虫害または病原体に対して悪影響のあるものもある。このメカニズムについての知識は、将来、植物育種家のための貴重な道具を提供し、安全性評価を容易にするはずである。

動物

 新種の家畜用哺乳類や鳥類の開発には、長い歴史があり、収量を改善し、これらの動物の健康を確保するために、広範囲におよぶ種々の方法が決められている。一般的に、健康と認められる新種の哺乳類や鳥類由来の食品は、由来する動物と同様に安全であることが証明されている。内因性の毒素は、このような家畜用動物にはないことが知られている。

 最近、受精卵分割法など、望ましい固体の増産を可能にする育種技術が開発されてきた。さらに、ホルモン・レベルの遺伝的制御法の知識が改善され、例えば、脂肪・赤肉比といった食肉品質の変更が可能になり、消費者の求める赤肉を提供することが可能になった。ホルモン・レベルを引き上げると、成長率や牛乳生産率も向上する。このような育種技術の使用がヒトに悪影響を与えた例はまだない。

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