石川
日本におきましても組換え作物が開発される一方、北米で開発されたものが今秋にも食用として輸入されようという時期に入ってきた。これをもって、組換えDNA技術の安全性論議は一つの山を越えるものと考えます。一方、日本国内には20年前と同じような認識がまだ残っているのも事実です。そこでこの座談会でこれまで続けてきた議論をふまえて、日本として今後どういうふうに考えていったらいいかということを提起して、この座談会シリーズを締めくくりにしたいと思います。まず始めに前回までのレビューをお願いします。
増田
1973年に組換えDNA技術が登場したとき、人類にとって未経験な技術であることを認識して、仮想の危険と自主管理というコンセプトによりガイドラインによる自主規制を制度化した。その後科学的知見の集積とともに徐々にガイドラインを緩和していった。そして1982年に米国では組換えDNA実験の原則禁止から原則自由への転換という大幅緩和を実行した。
1986年には産業化段階における大量培養に関する科学的原則がOECDの第一ラウンドの論議で確立された。1987および1989年に全米科学アカデミーは「組換えDNA技術に特有の危険性はない」と結論し、大統領府はこの基盤の上にバイオテクノロジーの取扱い方についての基本原則を提示した。またOECD第二ラウンドの論議の結果、意図的環境導入と食品安全性に関する基本的コンセプトが1993年に確立された。組換え作物の商業化努力の本格化とともに1994年から米国では組換えトマトが食用として実用化されるに至った。
日本における安全性論議
−環境庁のバイオテクノロジーの規制法案をめぐって−
石川
このような世界の動きの中で日本でもバイオの安全性に関してはげしい論議があった。その辺から、まず始めていただきたいと思います。
増田 1990年に欧州共同体(European Community,
EC)がEC指令を出した。1989年にECはその準備をしてきた。それに刺激されて環境庁が日本国内でのバイオ規制の立法化を考えた。それが表面化してきたのが1990年でした。
環境庁の法律制定をめぐってのせめぎ合いは、「組換えDNA技術に特有の危険性はない」ということを日本としてどう受けとめるかということが、今から思えば最大の論点であった。環境庁の中央公害対策審議会の下部組織として企画部会とバイオテクノロジー専門委員会があった。専門委員会で法律制定をめぐっての報告書が作成され、その上の企画部会での議論というところまでいったわけですが、その論議は環境庁と通産省との間の従来のやり取りとは全く様相の違う展開をした。
それはどういうことかと言うと、産業界なり通産省の立場から環境庁に対して意見を言うということではなくて、環境庁の審議会の中にいる委員の先生方が、「サイエンス・ベースの事実は何なのか」ということに関して勉強され、審議会の中で「サイエンスの観点からおかしいことはおかしいのだ」と主張するという展開だったのです。そういう意味では、往々にしてありがちな、環境庁がやることに産業界が反対している、あるいは通産省が反対しているという構図ではなくて、サイエンスの専門家たる先生方と環境庁、あるいはサイエンス専門の委員と法律系の委員の先生方とのぶつかり合いであった。
最後には、法律系の先生方は「組換えDNA技術が危険であるか否かということはどうでもいい。要するに人々が心配しているのだから、その心配に応える法律の枠組みが必要なのだ」という主張をしたのです。それに対して、サイエンスの先生方は「危険であるかどうかということをはっきりさせない状態で法律を作るというのは、逆に人々の懸念をいたずらに助長するだけであって正しい選択肢ではない。いかなるリスクがあるかが分からなければ対応処置のあり方も決まらない。まして固有のリスクが存在しない以上、法律で規定すべきいかなる処置の方法もない。人が心配しているということであれば、教育を通じて正しい理解を深め、心配を取り除く努力をするのが正しい道である。法律を作るというのは正しい姿ではない」と主張した。
この主張は大きな反響を呼び、多数の関連学会の先生方が環境庁に対して意見書を提出した。
石川
関連学会としては内田先生が主宰された遺伝子操作協議会という場でも意見書を作成したのです。またJBAに関係されていた先生方も集まりを作って意見書を出したわけです。その経緯は『遺伝子操作の安全性について』という出版物になって記載されています1)。
JBAとしては、常日頃からOECDの論議に参画し、サイエンス・ベースの事実を整理してきたのですが、この時は多くの先生方に頼りにされ、地道な努力が報われました。
増田
結論的に言えば、環境庁の審議会は、学界の判断に委ねようということになった。それで、日本学術会議の見解を問うという取扱いになったのです。日木学術会議はそれを受けて生命科学と生命工学特別委員会を設立して、公平をきすため理科系の先生方と文科系の先生方を半分ずつ入れて、学界としてどう考えるかという議論をした。規制法規を作るべきか否かの基本的論議に学界が役割を果たすという展開は、日本社会では異例のことであった。これは我が国にとって歴史的な進展であったと思います。
内田
環境庁の審議会で1年以上にわたってサイエンスの論争を続けることによって立法化を押し止めて、案文が完全にでき上がっている企画部会の報告書を発表できない状態にしたわけです。それで最後に環境庁は日本学術会議に判断を委ねたのです。日本学術会議の当時の会長は中央公害対策審議会の会長と同じ近藤次郎さんだった。
日本学術会議の特別委員会で延々と1年近く議論したが、最終的に意見がまとまらないのです。意見がまとまらないような事柄のために法律を作ることはあり得ないということで、最後は完全にボツになりました。
炭田
今日ここにその時のキーパーソンが3人いるのです。増田さんが通産省の生物化学産業課長として、堂々とした科学的論議に徹するべき、と主張され、石川さんがJBA専務理事として科学的事実や内外の動向を整理・提供され、そして内田先生を軸にして学界が結集したのです。
内田 歴史的にも、日本のバイオテクノロジー政策の方向を決める上で本当にクリティカルな時だったと思います。我々はサイエンス・ベースの論議に徹して論破した。その結果は日本だけにではなくOECDの場での論議を通じてヨーロッパにも影響を与えた。現在は東南アジアにも影響を与えています。
増田
教訓的に言えば、組換えDNA技術のような新技術に対して世の中の認識を左右する節目みたいな時期があって、そこでは物事が全く予想もしない方向に動くことがありうる。その原因は、要するにその技術の本質が正確に世の中に認識されていないことにある。本質を知らないと世の中は右に進むべきところを左に進むべき、と取り違えることが起こりうるということです。日本はその時期にサイエンス・ベースとファクト・ベースの考え方をきちっと守り通したということです。
国際展開
−国際バイオインダストリーフォーラム(IBF)設立の背景−
石川
ヨーロッパも日本も米国もそれぞれの産業界が孤立してやっていくのではなく、ヨーロッパが危ないときにはみんなで助け、日本が危ないときにはみんなで助けということで、日米欧で団結しながら、サイエンスをベースにしたことが世の中で通るように産業界としても努力していこうということで、IBF(The
International Bioindustry
Forum)を1991年に結成しました。これは1988年7月に日米財界人会議の中に設置された日米バイオテクノロジーフォーラムが出発点としてあったのです。日米フォーラムでは2年間かけてバイオの安全性規制の科学的原則の調和に関する日米産業界の共同提案を作成し両国政府に提出しました2)。その時の日本側委員長が都河龍一郎さんで、小委員長が炭田さんでした。それを発展させてヨーロッパを含めた三極連合を1990年に結成したのです。これにカナダが加わり、1991年にIBFに発展しました。
炭田
1990年の秋にブラッセルで三極連合の第1回会合をやりまして、日米欧国際調和の最初の課題がバイオの安全性の論議だったのです。そのときに、まさにヨーロッパでは規制強化の動きが盛んで、EC指令が動き出していたわけです。EC指令が出て18か月後にEC加盟国はそれをベースにした法律(規制制度)を作ることを義務づけられていた。1990年に日本で環境庁によるバイオ規制の法制化の問題が表面化したとき、JBAの呼びかけで、三極連合による「バイオの国際調和」シンポジウムを開催し世界の動きを国内関係者にアピールすることを企画した3)。これはブラッセル会合後、10日余りだというのに、米欧は多忙の中をかけつけて来てくれた。
石川
1991年およびそれ以降にOECD事務局にJBAが人を派遣したのも、そういう意味ではバイオ安全性論議にきちんと対処していくためにOECDを支えなくてはいけないという思いが日本の産業界にあったからです。当時のJBA理事長であった土方武さん、運営委員長であった西澤吉彦さんや産業と社会部会長の山本康さんをはじめ産業界の皆さんが安全性論議の重要性を深く認識して、かなりの支出にもかかわらず実現するに至ったのです。こうしてJBAから派遣された日本人スタッフが中心となってOECD第二ラウンドの論議をまとめあげたわけですから、その国際的意義は大きかったと考えます。本件には実は伏線があります。1988年の6月にフランスで日仏バイオテクノロジー会合がありまして、その際に私と増田さんが一緒にOECD事務局に行った時にOECDのバイオ担当官から、ぜひ日本から専門家をOECDに出して欲しい。しかも産業界での経験のある人を出して欲しいと話がありまして、それが始まりだったわけです。その流れの中で三極会合でもOECDとの連携をしっかりしていこうという合意ができ、JBAが日本政府からの要請を受けて炭田さんを派遣することになったわけです。
増田
そういう意味では、安全性論議への取組みを通じて培われた国際的にもまれにみる産業界の結束が今のIBFを作りあげた。新しい技術ができたときに、世の中にこれをどうやってうまく適合させていくか、とりわけ安全性ということに関連して、なかなか難しい社会的状況がどこの国でも起こる。これを国際的に団結することによって、サイエンス・ベースの流れがちゃんと各国内で受け入れられていくように努力してきたということです。
地域展開
−市民、学生と地方自治体の理解を求めて−
増田 バイオの安全性に関して正しい認識を世の中に持ってもらわない限り、この分野の基本的な進歩はない。そういうベース作りが不可欠であるという認識からPA活動が出発した。それは、①市民・学生に勉強してもらう機会を作るというかたちで展開すると同時に、②都道府県とか政令指定都市がバイオ安全性をどうやって取り扱ったらいいかということについて助言するという展開です。いずれも、科学的事実が何であるかについて、通産省とJBAの協力で情報提供はするが判断は各自が行うという原則のもとで推進しました。
石川 これらの活動をもう少し具体的に言いますと、
| ① |
「バイオジャパン」:首都圏で4年に1回開催する展示、国際シンポジウムのほか、バイオの正しい理解の普及に焦点をおいた公開市民セミナーなどから成る一大イベント |
| ② |
「高校生・市民のためのセミナー、展示会」:毎年、全国の5〜6都市で地元との協力で開催 |
| ③ |
「バイオ資格認定制度」の検討:専門学校の生徒を対象に日本バイオ技術教育学会が実施 |
| ④ |
高等学校の先生を対象としたバイオ研修(文部省受託事業) |
| ⑤ |
都道府県・政令指定都市のバイオ関係担当者交流会議の開催 |
などが挙げられます。
増田
市民・学生や地方自治体の理解を深めるこうした地道な努力の積み重ねの中で、近年、注目すべき現象がみられるようになっている。ある地方自治体ではガイドラインが今やマイナス効果を持ちはじめた。一昔前はガイドラインに基づいてこの施設を作って実験をやったら安全ですと言って、人々を説得するためのひとつのツールという意味でガイドラインが使われた。今やこれが全く逆に作用している地方自治体がある。「ガイドラインがあるくらいだから危険なんだ」という話になって本末が転倒する。これはガイドラインのあり方について、国も科学的ベースで不断に見直す努力をしなければならないことを物語っている。
石川
何年か前に、吹田市がバイオを規制する条例を作るという時にいろいろ説明に行ったのです。あそこの環境部長さんにいろいろと説明をしたのです。すると、「それだったらガイドラインをやめたらいいじゃないですか」と、極めて明解なことを言われました。「国がやめたら自分たちもやめる。ガイドラインがあるから何かしないと」ということです。
内田
パブリック・アクセプタンス(PA)の原点は正しくサイエンスを伝えることであって、特定の受益者のためにPR活動をすることではないのだと、真蟄にやってきたわけです。それは今でも正しいし、これからも正しい。科学的認識からみて正当でなく、時代からもズレてきた制度を放置するのはPAにとってすごくマイナスだということを考えないといけない。ガイドラインのあり方について、最も基本的なところから見直す覚悟が必要です。
石川
一方、国際社会でもPAが必要であることを痛感させられる事態が起こった。OECDでの論議の結果、「組換えDNA技術に特有の危険性はない」という基本認識が先進国において定着してきた状況の中で、環境主義者が起死回生の手として自然の保全のためであるはずの、国連の生物多様性条約の議論の場にバイオを持ち出した。バイオの話として二つのことを持ち出して開発途上国の関心を引きつけた。ひとつはバイオ技術という先端技術を放っておくと先進国だけが抱え込んで、しかも、その技術を使うために必要な生物資源は開発途上国のものを使うにもかかわらず、そこから得られる利益は先進国が独占してしまう、つまりあなたは損をしますよという問題提起をした。他方ではバイオは安全性に問題があり、危険なんだということを言った。このようにして開発途上国をワッと盛り上げて、この2点を生物多様性条約の議定書の論議に取り込んだわけです。サイエンス・ベースの論議を離れて、安全性論議を損得勘定に結びつけるやり方は国内でもよく見られる手法です。
生物多様性条約の議定書の論議がそういうかたちで開発途上国を巻き込んで展開されたときに、開発途上国は一般市民と同じように、多くのことを知らないが故にその話に引っ張られて、規制色の強い論議になったのです。
それを押し止めるために通産省の生物化学産業課の橋本正洋さんが何度も生物多様性条約の締結に向けての会議に出席されたのを記憶しています。米国にもこの傾向をなんとか止めたいという方針があり、日米協調の展開があり、それは今日も続いている。
日本のバイオ安全性の政策は今後どうあるべきか
増田 安全確保や環境保全のための社会制度を運営していく上で必要な知的基盤を整えていく科学の領域があり、これは「レギュラトリーサイエンス(regulatory
science)」と呼ばれている。これからの日本のあり方ということでぜひ提起したいのは、レギュラトリーサイエンスを日本において定着させ、知的基盤(いわゆるテクノインフラ)を整備・充実させるべきだということです。レギュラトリーサイエンスの積み上げ、専門家の育成、科学的知見の充実と体系化、科学的事実をベースとした自由な論議などがあって初めて正しい有効な安全管理が可能となるわけです。これはバイオの問題だけではなくて、化学物質の安全性の世界でも同じです。いちばん典型的な国では、専門家や学界がきちんと科学的事実に基づき科学的方法論に従って議論をし、政府がそれを取りあげて、ひとつの行政行為として位置づけていくということが社会に定着している。ですから、行政側にも科学的な事実を真摯な態度で積極的に取り入れて、行政行為あるいは行政上の規則、基準などを変えていこうとする態度がある。それを支える一種のサイエンスとして、規制はどうやってやるべきなのか、そのために必要なデータの蓄積はどうするのか、あるいは分からないことはどうやって突き詰めていくのかなど、基礎的研究から応用研究そしで情報の集大成・体系化まで、全部ひっくるめて研究し作業する人間集団がぜひ必要なのです。この「サイエンス」と「行政」の行き来で規制というものが時代にマッチした、合理的かつ有効なものになる。そういう意味で、行政側の科学に対する認識や真摯な態度、そして、これを支えるサイエンティスト側の積極的に社会にかかわる活動が非常に重要ではないかと思うのです。日本の社会が過去数十年にわたって置き去りにしがちであった知的基盤の充実が行政に不可欠となってきている。
石川
これをベースにおいて組換えDNA技術について考えると、サイエンスの方は「特有の危険はない」という答を出した。それに基づいて、米国の大統領府はそれを行政府として取りあげて、その政策上の方向付けをした。つまり大幅な規制緩和政策です。米国の各省庁はその基本原則に従って自らの規制のあり方を見直していっているわけです。
日本の組換えDNA技術についての状態というのは、このパターンに合わせ考えると、今、ボールが行政側に来ているという状態と言えるのではないでしょうか。
内田
1990年に米国の大統領府(副大統領室)から出た「バイオテクノロジーの規制の基本原則」が参考になります(表1)。これは、①プロダクトベースで、②負担が最小限になるような審査方法で、③しかも性能の基準を採用すべきであるとしている。「性能の基準」については、日本だと具体的な数値を明示した処方箋的なスペック、つまり「構造基準」を通常指定するのですが、米国は危険がないようにするための「性能」の基準を満足すればよいということを言っているだけです。
我が国も規制の「費用対効果」を具体的に評価勘案する習慣を早く身につけねばならない。これは、結局は自分で本質を理解し納得しながら、創意工夫によって自分で決めてゆくしかないということです。
石川 今の日本のガイドラインについて米国と比べたらどこをどれだけ直さないといけないのかをより具体的に明らかにできるといいですね。
内田
考え方の基本が変わったわけですから、ガイドラインの必要性も含めて基本的なところから考え直すべきです。米国の技術については議論していないのです。遺伝子治療の審査をやっているのみです。これも例数が相当増えたので、組換えDNA委員会自身をなくそうという議論が出ています。一つの問題が解決したらそこでピリオドをうって、新しいことを扱えるような体制を作ろうというわけです。
石川
ひとつの新しいサイエンスや技術分野が出てきますと、それに対して新しい枠組みや問題点が出てきます。けれどもそれは、だんだん解決していって、いずれは通常のことになる。新しい技術も安全だと認められて人々が慣れ親しんでくると、規制のあり方を改めていく。そして、一方で新しいニーズに対応していく。それをしない社会はどんどん停滞して衰退するわけです。私は、規制緩和とはそういうことだと理解しています。次の新しいものに置き替えていかないと、規制上の必要コストがいくらでも増えていくのです。社会全体としては新しいことに手を付けられない方が恐いのですね。
内田 この間、私がたまたま米国にいた時にトーマス・クーン(Thomas
Kuhn)という人が亡くなったことが新聞に出ていたのです。彼は「科学は累積的でなく階段的に進歩する」とし、パラダイムという言葉を科学史に導入したことで知られています4)。彼の言い方での通常科学(normal
science)という言葉があるのですが、その枠の中でいろんな問題をさんざんやっていくと解決のつかない次の大きな山が、見える人には見えてくる。その山を乗り越えて「科学革命」を起こした人々は新しいパラダィムに移っていく。そこでは新しい自然観が展開する。そこでは無いものを在ると言っていた古いパラダイムの言葉が不思議に聞こえる。例えば、フロジストン(燃素説)に基づく古代化学と、酸素が発見されてからの現代化学ではパラダイムが異なる。一つのパラダイムに埋没している者には他のパラダイムをなかなか理解できないとクーンは言います。
本当に危険なものならその危険をなんとかしないといけない。組換えDNA技術の重要なポイントとは、その技術自身に特有な危険性はないという結論がはっきりしているわけだから、そのことに対してやっぱりきちんと行政的に対応すべきだというのがまず一つあるのです。もう一つは、仮にある製品にリスクがある場合でも、その安全性というのはリスク管理における馴れと相関しているのです。たとえば、「マッチ」が出た頃はいろいろな規制をしないといけなかったかもしれない。しかし、今ではマッチなんていうものは世の中で当たり前のもので、子供でも誰でも使える。ひとつの技術なり製品なりの安全性というのは、実際にある種のリスクがあったとしても、その導入後、5年経ち、10年経ち、100年経てば、そのリスク管理の方法は当たり前のことになって、社会にあるいは人々の生活に習慣として定着していく。その当たり前のことになっていく過程に合わせて、規制を緩和していく必要性があるのです。
石川 「事業者のあり方」について一言、言っていただけませんか?
増田 事業者は自分の製品の中身をちゃんと理解して、政府に対しても社会に対しても科学的に正しいと思うことは正しいと主張すべきです。おかしいと思うことをおかしいと言うのは専門家の重要な仕事であり、義務です。
日本の産業界には「科学上の議論はどうでもいいから早く政府が決めてくれ。そうすれば私は社長に説明できる。政府がこういう基準値で規制すると言ってくれれば私は社長に一言で言えるのだ」という考えの人が少なからずおります。また社長には「専門家の言うことは、それはそれとして、政府はどう思っているのかね」という入も多い。「科学的方法論を尊重する精神」から見るとき、事業者の成熟度という点で日本は甚だしく遅れています。
「レギュラトリーサイエンス」の基盤を政府、学界、産業界とも力を合わせて真剣に整備し充実させていくことが、今後の日本にとって大きな課題だと思います。
石川
大変有益なお話を長い期間にわたって、ありがとうございました。今後のバイオインダストリーの発展のために、これまで論議されたことをぜひ生かしてゆきたいと思います。(おわり)
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○参考文献 |
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| 1) |
バイオインダストリー協会編『遺伝子操作の安全性について』、教育社(1991) |
| 2) |
日米財界人会議「バイオテクノロジーに関する規制の基礎となる科学的原則と手法の調和に関する日米産業界の共同提言」日米経済協議会(1990) |
| 3) |
日米欧三極合同バイオシンポジウム |
| 4) |
T. Kuhn, ”The Structure of Scientific Revolution ” |
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The University of Chicago Press(1962,1970):邦訳みすず書房(中山茂訳1971) |
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