第5章  遺伝子組換え食品の安全性評価

5.1 農作物の食品としての安全性

 遺伝子組換え食品の安全性について最も話題になっているのは、遺伝子組換えによって作られた農作物の安全性です。そこで、まず、遺伝子組換えではない農作物の安全性について考えてみましょう。
 現在、私達が食べている農作物のほとんどは、人間にとって都合の良い性質のものを作るために、品種改良がつみかさねられてきたものです。その結果、農作物のほとんどはもとの野生種から見ればかなり形や性質の違うものになっています。たとえばトマトはもともとは今のプチトマトよりもはるかに小さく、実の硬いものでした。このようなものがインカ帝国などで品種改良され、ヨーロッパにわたり現在のトマトとなりました1。このように長い歴史の中で、農作物には収量の多いもの、おいしいものというように、人間にとって都合のよいものにするための改良が加えられてきています。
 ところで、私たちは普通、トマトは赤くなったものを食べます。お店には青いトマトは売っていません。実は青いトマトにはトマチンと呼ばれる有害な物質が含まれています。私たちは赤くなったトマトを食べることにより有害なトマチンを避け、トマトを安全に食べることを、経験によって学んできました。調理法についても同じことが言えます。調理法を工夫することによって、農作物を安全に食べているのです。食物の微生物汚染による食中毒を防ぐために、食物を加熱することはよく知られたことですが、農作物に含まれる有害な物質を無害化するために加熱することも、先人達は経験によって学んできました。例えば、ダイズに含まれるトリプシンインヒビターという物質は身体には有害ですので、私達はダイズを加熱処理してこの物質の性質を変えてから食べています。また、ジャガイモの芽や緑の皮の部分にはソラニンと呼ばれる有害な物質が含まれています。そのため、私たちはジャガイモを食べるときは、芽の部分をくりぬいたり緑になった皮を厚く剥いたりするのです。このように、私たちは長い経験の中から、農作物自体が持っている有害な成分を調理によって無害化したり取り除いたりすることによって、これらの物質による健康への被害を最小限にとどめるようにしてきたのです。しかし、最近ではこれらの調理法が十分徹底されないために、ジャガイモのソラニンを原因とする中毒事件などが起こって新聞を賑わすこともあるようです。
 このように考えると、食用とされる農作物はそれ自体が安全だというものではなくて、安全な食べ方を我々が経験によって知っているものである、ということができます。また、動物でも毒になるものは食べませんが、しかし、食べている食品が完全に安全かと云うと、調理法を誤ったり、食べ過ぎたりすれば必ず体を壊します。

 それでは、そのような農作物を品種改良したらどうなるでしょう。品種改良の結果、我々が経験によって知っている安全な食べ方では安全が保てなくなるほど農作物の性質が変わってしまうと、問題です。実際には、従来の品種改良で、これらの自然毒を高めてしまったことがありました。1970年代に米国の農務省はジャガイモ疫病という病気になりにくく、加工特性の良いジャガイモ(Lenapeという品種です)を開発しました。しかし、このジャガイモはソラニンを通常のジャガイモの数倍も含んでいることがわかり、実際、中毒者や死亡者もでて、回収・使用停止となりました2。現在、我が国では従来の品種改良で作られた農作物品種について、市場に出す前にあらかじめ食品としての安全性を調べることを義務付けたり、特定の成分についての許容量を定めたりはしていません。このようなことは新しい品種を開発した人たちが自主的に行っています。しかし、ジャガイモのソラニンの許容量を定めている国もあります。ハンガリーでは品種改良したジャガイモ中のソラニン含量が180mg/kgを、米国では20mg/100gを超えてはならない、としています。

 一方、品種改良によって、もともと作物が持っていた有害な成分の量を減らすことも行われています。最近、スーパーマーケットで売っているキャノーラ油というのはキャノーラと呼ばれるナタネの油を絞ったものです。ナタネにはグルコシノレートと呼ばれる飽和脂肪酸やエルシン酸(エルカ酸)と呼ばれる脂肪酸が含まれています。グルコシノレートは油を絞るときに分解し,この分解物は家畜(鶏や豚)に有害性を示します。またエルシン酸は心臓に負担をかけると言われています。品種改良により、これら二つの成分を低くしたナタネを特にキャノーラと呼んでいるのです。

1 :日本農芸化学会編:世界を制覇した植物たち
2 :IFBC:バイオテクノロジーと食品−バイオ食品の安全性確保に向けて−

5.2 遺伝子組換え農作物のリスク評価