1.1−a リスク対応の枠組み

 世の中は危険がいっぱいである。仕事が終わって、一杯ビールを屋台で飲み、地下鉄で帰る。ビールを飲むのは良いが、糖尿病の人であれば血糖値を上げ失明や血管閉塞の確率を上げる。酔うと平衡感覚が鈍くなり、道を歩いていて車にはね飛ばされそうになる。地下鉄ではよろけてホームから落ちるかも知れない。何もしなければ安全かというとそうはいかない。子供のワクチンは副作用で危険だといってやらないと、麻疹で死んでしまったりする。
 しかし、飲んだからといって、必ず糖尿病が悪くなる訳でもなく、車にはねられる訳でもなく、ホームから転落する訳でもない。又、今日は酔っているから地下鉄のホームの端は歩かないようにしよう、等と対策も講じる。我々は、無意識に、起こり得る危険な状況を評価し、その行為を取るか取らないかを決め、必要に応じて対策を取っている。
 しかし、例えば、DDTのような農薬の使用の様に、多くの人々の健康に影響を持ち得る場合には、無意識に使うという訳にはいかない。DDTの人体への影響はどうか、許容量は設定できるのか、虫や鳥への影響はどうか、DDTを使わないと作物の収穫はどうなるのか、環境影響はどうか、それならDDTの使用をどうするのか、販売禁止にするのか、使用可能な例外を設けるのか、販売禁止にした場合本当にそれが守られているのかをどうチェックするか、違反者の処罰をどうするか、等々と色んな事が頭に浮かんでくる。この様な事態に対しては、個人の場合と異なり、系統立った対応が必要になる。食品の基準を決めるFAO/WHOの下にある合同食品規格計画(Codex Alimentarius)では、このような対応の枠組みをリスク分析と呼んでいる。リスクへの対応の枠組みは場合により異なり、これが全てに適用出来るとは限らないが、先ずこれを紹介しよう。
 合同食品規格計画のリスク対応の基本は、リスク評価、リスク管理、リスク・コミュニケーション(Risk Communication)である。

 リスク評価(Risk Assessment)は科学に基づくもので、危険因子(hazard)を見つけ、その性質を明らかにし、暴露の評価を行い、その上で、対象集団の既知の或いは予測される健康への悪影響の出現もしくはその確率を、不確実性も考慮した上で、定性的/定量的に推定する事をいう。リスク管理(Risk Management)は、リスク評価とは別物(distinct)である。全ての関係者と相談し(in consultation)、リスク評価、及び、食品安全性並びに公正な商取引に関係する適切な事項を考慮した上で、種々の管理法を比較検討(weighing policy alternatives)する。必要があれば、適切な予防措置及び管理手段を選択する。リスク・コミュニケーションでは、リスク分析の全過程を通じ、危険因子、リスク及びそれに連なる諸因子、及び、人々のリスクの受け取り方について、リスク評価の結果、リスク管理の選択の根拠を含め、リスク評価者、リスク管理者、消費者、企業、科学者など関係者の間で双方向の情報と意見の交換を行う。ここで、「リスク(risk)」と「危険因子(hazard)」と2つの言葉が出て来るが、食品規格計画での定義を一口でいうと、「危険因子」は、健康被害を起こし得る物または状態であり、「リスク」は危険因子によってもたらされる健康被害の程度と確率(function of the probability)である
 このような枠組みについては色々な議論もある。第一には、リスク評価とリスク管理を峻別するのは恣意的であり、分けるべきでない、という意見である。確かに、如何にリスク管理をするかによって、リスクは変わる。即ち、リスク管理をしながら、その評価をし、更に管理方法をより合理的なものにして行く必要がある。つまり、評価と管理は切り離せないとする考えである。一方、リスクの評価が、「管理可能か」とか、「企業の圧力があるから」とか、「消費者団体を満足させる為に」とか、そのような事で左右に揺れ続けるのでは、本当の評価は出来ない。その意味で、リスク評価は、リスク管理から独立していなければならない。このような矛盾を如何に解決するか、が一つの問題である。

 第二は、リスク評価の結論の出し方の問題である。例えば、食品残留農薬の許容量を出す場合に、リスク管理をする側は、単純な数値を要求する事が多い。「あるカビ毒残留許容量は0.001mg/kg以下」等といった一つだけの数値の要求である。しかし、非常に低濃度の残留量の人体に対する影響については科学者の間で意見が分かれるのが普通である。実際、人で実験をしてデータを得る事は不可能なので、動物実験のデータから推測する事しか出来ない。或る科学者は0.001 mg/kg以下なら影響ないといい、別の科学者は0.0001mg/kgだという。もう一人別の科学者は、兎も角も、心配なら、その10分の1、0.00001mg/kgにしてはどうかという。そんな事で、評価委員の大多数の意見は0.001mg/kgなのに、一番厳しい0.00001mg/kgにしてしまう事がある(実際、委員会をやると、この結論にするのが最も容易である)。その挙げ句、カビ毒に過敏になり過ぎた為、例えば、毒性のより高い抗カビ剤の大量使用をもたらしてしまうかも知れない。

 第三は、リスク評価には、事実も重要だが、「人々がリスクをどう受け取るか」を考えるべきである、という社会科学者からの意見がある。事実に基づく評価にも不確実性があるのは確かであるが、「人々の受け取り方」には遙かに大きな幅があり、しかも、その時その時で大きく揺れるのが常である。リスクに行政が対応する場合には「人々の受け取り方」を考慮するのが常であるので、リスク評価に「受け取り方」を入れれば、「リスクの受け取り方」は、雪ダルマ式に膨らんで行くということになる。

 第四に、この枠組みの中で、リスク評価に於いて危険因子が明確に同定されない場合にどうすべきか、という問題がある。「危険因子が見つからないので、安全と判断し、それ以上の手段を取る必要がない」という意見と、「危険因子が見つからなくても、新しい技術を導入する場合には何が起こるか分らないので、何らかのリスク管理をなすべきである」との考えがある。前者の考えは消費者の漠然たる不安に対応出来ない。一方、後者の場合、危険の実体が分らないので、適切なリスク管理も分る筈がない。仕方ないので兎にも角にも当面禁止しよう、ということになりがちである。
 以上四点については、国民自身で判断を下すべきであろうが、第一点についていえば、リスク評価はリスク管理の為にある訳で完全に別のものではない、独立はしているが無関係ではない、という視点が大切である。第二点についていえば、リスク評価に対して唯一つの数値を要求する事は必ずしも合理的ではなく、リスク管理の立場から、不確実性も含むリスク評価に基づき、消費者、生産者の意見を入れ最終決定を下すべきであろう。この場合には、リスク評価はあくまでも科学の立場に立つ訳である。第三点の批判についていえば、もし、「人々の受け取り方」に評価の基盤を置けば、リスク評価は、その時その時の外的要因により、ある時は消費者の圧力に、ある時には生産者の圧力により揺れ、評価の信頼性に関わる事態が生じることになるのではないかと懸念される。そうなれば、リスク評価は信頼されず、リスク対応の仕組み自体が危うくなる危険性があるのではないだろうか。
 最後の点については、今なお議論が続いている。新しい技術の安全性を完全に予測する事は不可能であり、科学者の間でも意見が別れる事が多い。このような議論に、しばしば、precautionary principle(日本語では予防原則と訳されているが、予防原則を英語に訳し直すとprevention principleとなり誤解の元となっている)が持ち込まれる。これは、1989年に海洋汚染に関して、「廃棄とその影響の因果関係を示す適切な或いは十分な科学的証拠がなくても、汚染廃棄を規制し、海洋自然環境を守る効果的なprecautionary approachの必要がある」とされたことから出て来た言葉である。この考えの一つの問題は、行わないという行為も含め行為にはリスクが伴い、precautionに基づくとして行った決定がprecautionに基づいた行為として妥当であったかどうかは後になって分る事である。つまり、後智恵である。難しい問題であるが、原則的な議論よりも、何よりも実践的な議論をすべきで、具体的に各事例に出来る限り客観的に当り、分かっている事は分かっていると認め、分らない事は分らないとして、判断すべきではないかと思われる。リスク議論をする場合、しばしば、原則議論に終始し、後にも先にも行かない状況に陥る事が多い。現実に立ち戻り、それぞれの局面について折衝(negotiation)により、一つ一つ解決するのが大切ではないかと思われる。
 最後に、リスク管理の選択において考えなければならない幾つかの点をあげる。第一は、費用と効果の問題である。リスクを減らすには費用がかさむ。特に、リスクをゼロに近づけようとすればするだけ急激に費用が増えることは良く知られている。つまり、リスクゼロに近い領域では、費用対効果が激減する。第二は、世の中にあるリスクは一つに限らないということである。対応しなければならない問題が沢山ある場合に、一つのリスクを減らすのに予算を全部使ってしまっては、国民は全体として、より大きなリスクに直面することになる。つまり、どのリスク対応を優先させるか、という問題である。第三は規制の程度の問題である。実現不可能な迄に厳しい規制をやってしまうと、規制される側もする側もどう仕様もなくなり、無視せざるを得なくなる。
 もう一つ重要なことは、あるリスクを減らす為にとった施策が、別のリスクをもたらす場合がある。又、リスクそのものは変わらず、リスクを受ける人々があるグループから別のグループになるだけの場合がある。このような場合、リスクを負う人々はより恵まれない人々になりがちである。アスベストを使用した建築物を禁止にした場合、低賃金で解体工事に雇われた外国人が肺ガンになったりすればこの例になるかも知れない。
 このようなことから、自分が関心を持つリスクにだけ目を奪われることなく、社会全体を見る必要がある。上の食品規格評価計画のなかで、リスク管理の選択において、「食品安全性だけでなく公正な商取引に関係する適切な事項を考慮した上で」としているのは、大きな意味がある。バランスのとれた施策なしには、本当に安全な社会には到達出来ない。
1.2 遺伝子とは