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遺伝子改変されたパン酵母

D. A.ジョナス博士
英国農漁食糧省食品科学局II

1. 検討する概念の要点

「現時点での考察事項」(時間的な留意点)としては、第3項に述べるようにSaccharomyces cerevisiaeが長い間パンを発酵させるのに使われてきたことが挙げられる。
 「実質的同等性」の概念については第6項で述べる。同項では遺伝子改変されたパン酵母の評価について述べるとともに、その特性を、改変していない菌株の特性と比較する。また第7項でもこの概念に触れる。
 本ケーススタディでは「実質的同等性」の概念に続き、第7項で「合理的確実性」の概念について述べる。

2. 生物/ 製品:

 遺伝子改変されたパン酵母S. cerevisiae

3. 伝統的な製品評価

 従来より、パン酵母の新しい菌株に対しては安全性評価を行っていないが、それはこの種が非病原性であり、発酵させてふくらませたパンに含まれるかたちで何世紀にもわたって食されてきたためである。

4. 伝統的評価に利用できるデータベース

 多くのパン酵母菌株は血清型で分けられてきたが、その組成に関して、菌株の評価に役立つような公式のデータベースはない。ただし、安全性評価のために遺伝子改変酵母を提出した企業は、従来の菌株と比較した必要情報も提出している。

5. 新規の成分/ 製品

 昔から甘いパン生地の発酵に用いられてきたパン酵母の1菌株が遺伝子改変され、糖分や脂肪分の少ないパン生地の発酵にも甘いパン生地の発酵にも使えるようになった。この改変により、麦芽糖発酵酵素であるマルターゼとマルトース・パーミアーゼの分泌が、特に発酵プロセスの初期を中心に高められた。改変されたパン酵母は、改変されていない親菌株に比べて代謝率が高く、発酵時間の早い段階でより多くの炭素ガスを放出する。これによって発酵に必要な時間が短縮されることが判明している。

6. 追加される評価手順

 この新しい酵母株は遺伝子改変によって得られるため、改変されていない菌株よりも大きな危険を生産工場やパン屋の労働者、環境、この酵母の入った食品の消費者などに対してもたらさないことを確定するため、当該菌株に対する評価が行われた(実質的同等性の概念)。労働者と環境に対する改変酵母の安全性評価については本ケーススタディで取りあげないことにする。
 新しい食品としての新規菌株の評価では、生きた細胞と死んだ細胞の両方が摂取されうることを勘案した。具体的には以下の側面を検討した。

 a) 宿主生物および供与生物の特性

 宿主生物は、甘いパン生地発酵用パン酵母の工業生産に広く使われている非病原性の種S. cerevisiaeの1菌株であり、当該菌株についてはよく分析されていた。マルターゼとマルトース・パーミアーゼの遺伝子に対する天然の誘導ポローモーターは除去され、上記のパン酵母菌株に由来する強力な構成性プロモーターに置換された。

 b) 遺伝子改変手順

 リンカー配列として使う合成した非コーディングDNA小片のほか、供与DNAをまるごとS. cerevisiaeから取りだした。供与DNAは、酵素マルターゼとマルトース・パーミアーゼをコードする遺伝子と、十分に解析された強力で構造性の2つのプロモーターからなる。
 形質転換手順の各段階でコンストラクトをE. coliにクローン化し、制限酵素消化分析、配列分析の両方またはいずれか一方を用いて、配列が予測どおりであることを確認した。
 挿入したDNAの染色体上の位置は図で確認することができた。これにより、挿入の悪影響が生じる可能性のないことを確認した。
 形質転換手順は、確実にコンストラクトが染色体に組み込まれ、かつ異種DNAがないように設計された。形質転換手順をやり易くするために用いた抗生物質抵抗性マーカーは取り除かれ、遺伝子改変酵母中に原核生物の配列は残されていない。

 c) 遺伝子改変生物

 遺伝子改変菌株のDNAのハイブリダイゼーション・パターンは、100世代にわたる栄養生長後も変化しなかった。これにより、菌株が従来の菌株と同じように安定していることが示された(実質的同等性の概念)。
 原核生物の異種DNAはすべて形質転換の間に排除されており、挿入したDNAの安定性はサザンブロット分析により示されていた。遺伝子改変パン酵母から他の生物へのDNA移行は起こらないものとみられる。すでに知られているように、改変されていないS. cerevisiae株で細胞が死ぬと、細胞壁がこわれる前に細胞含有物の自己融解が起こり、他の生物によって取りこまれる可能性のある遊離DNAは放出されない。S. cerevisiaeと既知の真菌性または細菌性の病原体との間では接合や正常なDNA交換は起こらず、またS. cerevisiaeは、DNAを他の生物に伝達しうる既知のDNAウィルスの宿主ではない。これは、遺伝子改変パン酵母からのDNA移行リスクが、改変されていない親菌株からのDNA移行リスクと何ら変わらないことを示している(実質的同等性の概念)。
 次のようないくつかの理由から、遺伝子改変菌株によって有毒な代謝産物が生産されることはないものとみられる。すなわち、宿主生物は非病原性である;供与DNAは宿主と同じ菌株から得られた;相同で構成性のプロモーターだけが再配列された;マルターゼとマルトース・パーミアーゼだけを制御する遺伝子の初期活性が影響を受けた。発酵プロセス中に起こる生化学反応は、遺伝子改変菌株でも改変されていない菌株でも同じである。これは改変されていない菌株のほうが効果は低いものの、どちらもマルターゼとマルトース・パーミアーゼを生産するからである(実質的同等性の概念)。

7. 追加される評価手順の理論的根拠

 理論上、遺伝子改変技術を利用して行った酵母の改変は、酵母の伝統的な品種改良でも達成できたはずである。もし伝統的な品種改良を用いていたなら、パン酵母の新しい菌株に対して上述したような詳細な考察は行われなかっただろう。
 安全性評価のために提示されたデータは、遺伝子改変パン酵母が安定性、遺伝子移行の可能性、毒素産生の可能性、および改変されていない菌株よりも大きなリスクを消費者に与えないという点で、改変されていない菌株と十分に類似していることを示していた(実質的同等性の概念)。改変されていない菌株は安全だとみなされていることから、それと実質的に同等である改変菌株も、同じく安全である(合理的確実性の概念)。

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