第4章 野外試験及び野外での栽培の安全性

4.1 遺伝子組換え生物の野外試験の安全性に関する議論

 1982-3年頃になって遺伝子組換え生物を施設から外に出して野外で試験したいという申請が出されるようになり、米国では遺伝子組換え生物の野外試験の安全性に関する議論が活発に行われるようになりました。ある生物をある野外の環境に導入した場合にどのような成り行きを生じるかを予測することは、大変難しいことです。導入された生物は死んでしまうかもしれないし、逆にどんどん増えるかもしれません。あるいは生物の相互作用を通じて、二次的な影響を生じるかもしれません。さらに、生物やそれを取り巻く環境(両者を併せて生態系と呼んでいます)は常に変化していますので、どれくらい変化したら困ったことになるのかの判断も簡単ではありません。
 米国では遺伝子組換え生物の野外試験の安全性を巡る議論に関して、生態学者と分子生物学者との意見の対立が明白になりました。
 生態学者達は、外来生物が生態系に有害な影響を与えた例を引いて、新たな環境に導入された生物は有害な影響を引き起こすことがあること、しかし、そのような生物が導入された環境中で定着して増えるかどうかの予測は、それが遺伝子組換え生物であるか否かによらず、難しいと主張しました。また、殆どの遺伝子組換え生物については環境に与えるリスクは小さいと考えられるけれども、もし影響が出れば非常に大きなものになる可能性があるとしました。また、生物は環境中で増え、一旦出してしまった後でこれを捕まえることは難しいため、屋外に出す前に厳しく安全性をチェックすべきであると主張しました。
 これに対し、遺伝子組換え生物の開発に関わる分子生物学者達は、植物の品種改良ではこれまでも新たな遺伝子の組合せを持つ植物が作られ野外で試験されているけれども問題を生じていないと主張しました。また、新たな根粒菌を定着させようという試みがうまくいかない例を挙げて、土壌では新たに導入された微生物は既存の微生物に負けてしまうと主張しました。そして、実験室での実験だけでは遺伝子組換え生物の野外における挙動は予測できないため、安全性を予測するには野外試験が最も有効であると主張しました。(表4.1参照)
 このような意見対立の解決の糸口を見いだすために、米国微生物学会は1985年、「環境中における操作生物:科学的問題」と題するシンポジウムを開催しました。そして、このシンポジウムで、問題なのは遺伝子の組合せを変える方法ではなく遺伝子組換えによって作られた生物の特性(プロセスではなくプロダクト)であるという考え方や、遺伝子組換え生物の野外利用を、実験室、温室、小規模野外試験というように、段階的に進めるべきだという考え方に大筋での合意が生まれました。
 1987年8月、全米科学アカデミーは、「組換えDNA操作生物の環境への導入−何が問題か」という報告書を発表しました。この報告書では、遺伝子を組換えるということ自体に特有の危険があるわけではなく、生じる可能性のあるリスクの種類は非組換え体のリスクと同じ種類のものであることを述べています。そして、遺伝子組換え生物の環境への導入のリスクは、具体的な事例に即して、組換え生物の性質と導入環境の性質に基づいて評価すべきであると述べています。この報告書をきっかけとして、議論は、野外試験が「安全か安全でないか」といった一般論から、「個々の野外試験のリスクをどのように評価すべきか」という問題に移っていきました。
 なお、1999年に、遺伝子組換え生物の野外利用の安全性に関連して、オオカバマダラという蝶が害虫抵抗性トウモロコシの花粉を食べて死んだという報告が、また2002年にはメキシコでトウモロコシの原種と組換え体との交雑が起こったという報告が新聞等で話題になりました。これらについてはQ&A24Q&A31を見て下さい
4.2 遺伝子組換え生物の野外利用のリスク評価の基本